第9週
心を究めていただくとき
マーク・フィンレー(世界総会副総理)
「神よ、わたしを究め わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。御覧ください わたしの内に迷いの道があるかどうかを。どうか、わたしを とこしえの道に導いてください。」 (©日本聖書協会) 詩編139:23、24
私がまだ牧会を始めたばかりの頃、クリスチャンの小学校で祈祷週をするように依頼されました。週の始め頃、私は学校で二人の教師が深刻に争い合っていることに気がつきました。定期的に開かれるスタッフ会議にも彼らは否定的な態度で臨みました。一人が意見すると、もう一人は必ずそれに反対しました。二人がいるおかげで、会議はいつも緊張感でいっぱいでした。彼らがお互いに憎しみ合っていることは誰の目にも明らかでした。
祈祷週も終盤に近づいた頃、私はヨハネ17章にある「キリストのとりなしの祈り」について語りました。キリストはまもなく裏切られ、十字架につけられようとしていました。そして墓からよみがえり、父のみもとにお帰りになるのでした。キリストの真剣な祈りを学ぶときに、彼の心の中心に何があったのかをはっきりと知ることができます。十字架上で息を引き取られる瞬間までキリストの心を支配していた思い。それは残される教会における一致でした。キリストは次のように祈りました。「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」 (©日本聖書協会)ヨハネ17:21 キリストは弟子たちの間の不和、嫉妬、覇権争い、衝突がなくなるように願っておられました。弟子たちがお互いに違いを持っていても、一致することによってキリストの愛の力を世に示すことができると信じておられたからです。
キリストの心からの祈りを教師や生徒と共有したときに、驚くべきことが起こりました。祈祷会の最終日の晩は洗足聖餐式を計画していましたが、聖霊が一同の上に降り、神様の愛が全員の心を強く動かしたのです。争い合っていた二人の教師は、互いにひれ伏して足元にひざまずきました。神様の霊が二人の心の障壁を完全に破壊したのです。彼らは互いに抱き合い、これまで否定的な態度で接してきたことを謝罪して心からの赦しを求めたのでした。
ペンテコステ前の十日間、弟子たちも二階座敷において、悔い改めと謙虚さを求める祈りを捧げていました。十日の間、弟子たちは互いの心の隔たりを告白し合い、嫉妬や利己心について深く悔い改めたのでした。ついに彼らの心は、全てを投げ出されたキリストの愛で満たされました。彼らはキリストと共に歩んだ三年半の月日を後悔し、どんなにやり直したいと願ったことでしょう。
あなたにもそのような経験はありませんか? 自分の過去の過ちを取り返すことができるならどんなことでもする、と切望したことはないでしょうか?
神様の愛と優しさにふれ、品性の麗しさを見るときに、はじめて私たちは自分自身の弱さ、欠点、そして罪を認めることができます。キリストの無条件の愛と完全な義の光に照らされるときに、私たちの心は謙虚にされ、心からの告白と悔い改めへと導かれるのです。そしてキリストだけが与えることのできる義と救いを叫び求めるようになります。キリストの清らかさに圧倒されるときに、預言者イザヤのように私たちは叫ぶのです。「災いだ、私は滅ぼされる。」 (©日本聖書協会) イザヤ6:5 自己評価は必ずしも楽しい経験ではないかもしれませんが、絶対に必要なことです。神様に「私の生活の中に、あなたの御心と調和しないものがあるでしょうか?」と尋ねてください。「主よ、私の心の奥底を探り、キリストの僕としてふさわしくないものを示してください」と祈るのです。
このプロセスによって、私たちはもっと神様の御心に近づくことができます。神様は、私たちが不必要な罪悪感に苛まれたり、過去の失敗を後悔しながら生きるようには求めておられません。神様の目的は私たちを永遠の命に導くことなのです。自分の霊的生活を冷静に見つめ直すことは大切なことですが、過去の失敗にこだわり続ける生き方は間違っています。過去にばかりとらわれていては、私たちはただ落胆するだけなのです。
とても重要なことをお伝えします。いつもこのことを心に覚えていてください。
キリストは私たちの過ちより大きく、私たちの失敗をはるかに超越されたお方です。自分を正しく知ることは大切ですが、キリストの恵みを知ることのほうがはるかに重要です。弱さを知っているからこそ、私たちはキリストの強さを求めるのです。罪深さを知っているからこそ、キリストの義に生かされたいと願うのです。無知であるからこそ、キリストの知恵をいただきたいと願うのです。聖霊が私たちの弱さを示してくださるときに、私たちはキリストを心から求めるようになります。自己評価によって私たちが自分の罪と過ちを認めるときに、聖霊は私たちをキリストのそば近くに導いてくださいます。このことのゆえに神様を心からほめたたえます! 聖霊が私たちの罪を示してくださることは、後の雨による霊の力を私たちが十分に受け取るための準備となります。神様に完全に造り変えていただくために、私たちは自分自身が砕かれる経験を経なければなりません。満たされる前には、空っぽにされる必要があるのです。私たちの心の王座をキリストに明け渡すためには、自己を完全に捨て去る経験が必要なのです。
瞑想しましょう:
あなたの心は今どこにありますか? 悔い改めの祈りによって心に平安の贈物をいただきましたか? あなたの人生はこれまでと比べて変わりましたか? 神様の恵みをより豊かに体験できるようになりましたか? その恵みを人々に分かち合いたいと思いますか?
実践しましょう:
あなたの時間、関心、愛情をキリストから逸しているものを示してくださるように神様に求めましょう。イザヤ59:1、2 ヨハネ第1 1:9 について瞑想し、あなたの霊的な背きの罪を明らかにしてくださるように祈り求めましょう。神様があなたの罪を取り除き、聖霊で満たしてくださるように祈りましょう。
「悔い改めとは、罪を悲しむだけでなく、罪から離れることを含みます。人は罪の本当の恐ろしさを知るまでは罪を捨て去ろうとはしません。しかし、心の中で完全に罪から離れなければ、わたしたちの生活に本当の変化は起こらないのです。今日、悔い改めの真実の意味を理解していない人が多くいます。犯した罪を嘆いて外向きに悔い改める人はいても、それは罪の結果苦しみにあうことを恐れているだけなのです。これは聖書が教えている悔い改めではありません。・・・(それはエサウ、バラム、イスカリオテのユダ、パロの場合と同様です。しかしそれと比較して)・・・ダビデは自分の罪の恐ろしさと魂の汚れを認め、自分の罪を憎みました。彼が祈り求めたのは、罪の赦しだけでなく、心が清められることでした。」
『キリストへの道(英文)』 23~25ページ
讃美の報告:
1.メディア伝道の働きについて神様を賛美します。オンライン配信されるメッセージと証しはこの危機を耐える助けになります。(ジニアより)
2.一度も面識のない人を助けるようにと仕事上の電話を受け、祈って出かけました。話しをしているうちに、彼は長く教会から遠ざかっていた元アドベンチストの指導者だったことがわかりました。共に祈るなかで、彼は聖霊が自分を呼び戻してくれたように感じると告白しました。私にキリストの証人となる機会を与えてくださっただけでなく、人々との関わり方についても教えてくださった神様に感謝します。(イヴォンヌより)
祈りの課題
- コロナウイルスが再び感染拡大しはじめた中国武漢市や他の地域のためにお祈りしましょう。
- タイの公立学校に勤務しているアドベンチスト教師のためにお祈りしましょう。学校が再開されますが、政府はカリキュラムを取り戻すために、安息日にも授業を実施しようとしています。教師たちが、ダニエルの三人の友人たちのように強い信仰を持つことができるようにお祈りしましょう。
- パプア・ニューギニアにおいて、教会の閉鎖によって誕生した小さな祈りのグループ、野外教会、また家庭集会のためにお祈りしましょう。
- 米国コネチカット州ニューヘブンにあるオメガ・アドベンチスト・チャーチのWarming Center Ministryでは、感染防止のための社会的距離を保ちながら、ホームレスの人々に対して献身的に奉仕しています。彼らと彼らの働きのために特別にお祈りしましょう。