100日の祈り 第2週
「コロナウィルスに対するように私たちが罪を見たならば」
エリック・ラウ
2週間ほど前、家内と私の二人は、発熱と食当たりのような症状になりました。約1日半で私の熱は下がり回復しましたが、家内の熱はなかなか下がらず、空咳と体の痛みを伴うようになりました。
数日後、コロナウィルスの検査を行う保健所に連絡し、検査を受けられるように予約を取ろうとしましたが、コロナウィルスと診断された患者と濃厚接触がない限り、検査は受けられないと断られました。検査に来ても時間の無駄だ、ということなのでしょう。
2、3日経っても家内の熱は下がらず、咳き込むと濃い痰が出て、夜目を覚ましました。さらに咳と一緒に吐き気もひどくなって、2時間ほど咳と嘔吐が止まらなくなりました。そこで急いで救急病院に家内を連れて行き、医師に症状を伝えました。医師は静脈治療を始め、薬を投与して容態を安定させました。
私は、妻のためにコロナウィルスの検査をしてくれるように頼みました。妻は仕事上、大勢の外国人との接触があり、また最近、他の州で行われた大きな会議から帰ったばかりであることも話しました。医師は「コロナウィルスと良く似た症状があっても、家内がコロナウィルス罹患者との接触がなければ検査は受けられない」と説明しました。それを聞いた時、私は「検査キットが非常に不足しているか、あるいはこの病気を真剣に取り扱う準備が整うまで医療関係者は待っているのだろう」と実感しました。
話し合いの末、医師は「まず別の検査をしてみよう」と提案しました。「その検査結果が陰性だったら、2本目の綿棒をすぐにコロナウィルス検査を行っている保健所に送ろう。2日程度で結果が出るはずだ」と言いました。それまでは自宅で謹慎するように勧められ、その通りにしました。
別の検査の結果はすべて陰性だったので、私は私たちと接触のあったグループに、妻がコロナウィルスに罹患した可能性が高いと説明しました。人々は自主的に自宅で待機するようになりました。
私は病院に連絡して、妻の検体が保健所に送られたかどうかを確認しました。担当以外の人は、検体がどこに送られたのかを知りませんでした。次から次に尋ねまわりましたが、埒(らち)があきませんでした。数日後、州の疫病学者とようやく連絡がとれて、妻の検体がまだ保健所に送られていないことが判明しました。私は彼に妻の症状を詳しく説明して、接触した多くの仲間が結果を待って自宅待機している事を説明すると、彼は検体を取り寄せ、コロナウィルスの検査を火曜日までに行うと約束しました。
火曜日が来て、夜になりました。なんの連絡もありません。水曜日が来て、夜になりましたが連絡はありません。その間も妻は咳が止まらないので、救急病院に行きました。木曜日になってしまいましたが、結果が届かないので連絡したところ、未処理の検体が多すぎて、検査が滞っているとのことでした。おそらく私たちと同じような状況の人々が大勢いるのでしょう。木曜日の19時半になり、自宅待機を始めてから12日が経過しましたが、ついに検査結果が届きました。結果は陰性でした。ホッとしたと同時に、大勢の人々を巻き込んだ苦難の日々が終わりました。
私たちのこの経験は、創世記で世界が罪という「ウィルス」に感染したことを思い起こさせました。コロナウィルスのように、天で初めて罪が出現した時には、それが致命的な結果を招くものになるとは思えませんでした。実際に罪がこの地にもたらされた時も、一本の木のそばで起きた小さな出来事であり、致命的なものには見えませんでした。しかし罪は、蛇からアダムとエバに、そしてその子孫に次々と伝染し、たちまち収束できない状態へと蔓延して行ったのです。
コロナウィルス感染拡大に対する世界の反応と比べると、罪の蔓延に対する人々の関心は非常に低いものです。神様の言葉に照らして、私たちの生き方を検査することや、私たちの心の状態をテストすることに、私たちは無頓着です。わがままや怒り、うぬぼれなどの症状が行いのすべてに現れてくるのを見ます。しかし私たちはそのような症状にも見て見ぬ振りをします。むしろ、私たちは罪を愛し、罪を弄(もてあそ)び、罪を笑いのネタにしますが、全身全霊をかけて癒やされようと心掛けることはありません。
しかし、もし私たちがコロナウィルスに対するように、罪の問題を取り扱ったならばどうでしょう。
詩編139編23、24節は、私たちが自ら心を探る「検査」をするように勇気づけてくれます。「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、我がもろもろの思いを知ってください。わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。(©日本聖書協会)」
神様は、私たちに自分の本当の状態に気づき、霊的な癒しを求めてほしいと望んでおられます。私たちが清められることを心から熱望されておられるのです。私たちは皆、この地上に隔離されていますが、まもなく隔離期間が終って、イエス様が御国に迎えるために私たちのところに戻ってきてくださいます。私たちはその備えができているでしょうか。
※エリック・ラウ:テキサスカンファレンスの牧師。現在、アンドリュース大学で神学修士課程を履修しています。
瞑想してみましょう:
神様が私たちの心を探り、死に至らせる罪のウィルスから癒してくだるのをあなたは望んでいますか。
実践してみましょう:
私たちは肉体的な守りと癒しを祈り続けていますが、霊的な癒しについても積極的に祈り求めましょう。周りの人々のためにとりなし、和解が必要な場合には和解し、神様の愛を分かち合うようにしましょう。罪を犯す機会を減らすのでなく、罪そのものを犯すことがないように心から神様に願いましょう。ヨハネ第一1:9、イザヤ1:18をおぼえてお祈りしましょう。
- COVID-19のパンデミックによって人々が亡くなったり、様々な制限や医療システムの危機など、大きな影響を受けている国々や地域のためにお祈りしましょう。
- 医療従事者の働きが守られるようにお祈りしましょう。医療従事者の友人がいるならば、彼らの名前を挙げてお祈りしていることを伝えましょう。
- 日常生活の変化と向き合わなければならない教会員に、神様の祝福が注がれるようにお祈りしましょう。状況に耐えられるように祈るだけでなく、神様の力強い証人となることができるようにお祈りしましょう。
- 教会員が霊的に互いに励まし合えるように、また一人で過ごさなければならない教会員が特別に励まされるようにお祈りしましょう。
- パンデミックの中にあって、食料や生活必需品の欠乏を経験しているフィリピン北部のミンダナオミッションのために特別にお祈りしましょう。彼らの生活が神様によって守られますように。