「コロナウイルス感染症の中で、怒りをコントロールする」
――「怒ることがあっても(自主隔離中でも)、罪を犯してはなりません」
エディータ・ヤンケヴィッチ(宗教教育学博士、南太平洋支部家庭伝道部、弟子伝道専門)
社会距離拡大戦略、そして自主隔離中の緩やかなペースの生活は、家族が一緒に過ごす質の高い時間を与えてくれています。一緒にボードゲームや、ジグソーパズル、サイクリング、また物語を楽しむことができるでしょう。その一方、四六時中、一緒に生活することで、負の感情、特に怒りの感情が沸き起こる機会にもなっています。
私も、怒りを建設的な方法で表現できるまでに苦労した1人です。ですから、怒りが煮えたぎり、非建設的な方法で怒りを表してしまう気持ちがわかります。そして、それに続く悔恨と、恥ずかしい思いもよくわかります。
ですが、私は、神の恵みによって、怒りの効果的なコントロールが可能であることも知っています。ですから、ストレスが多く、社会的に孤立するこのときに、もし、普段以上に欲求不満や怒りを感じているのでしたら、私が長い時間をかけて学んできたことがお役に立つかも知れません。
何よりもまず、私は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、柔和、そして節制を生活の中に表せるよう、日毎に聖霊の満たしを神に求めることが必要不可欠であると、痛感させられています(ガラテヤの信徒への手紙5章22、23節 ©️日本聖書協会)。
そして、私にとって、特に洞察に満ちているように思える聖句箇所は、エフェソの信徒への手紙4章26節です。そこで、パウロは言います。「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません」。この言葉は、怒りが人間のごく正常な感情である、という社会科学的な見地を反映しています。そして、それは、怒りを適切あるいは不適切に表現する方法が存在するということなのです。
理想を言えば、罪を犯さずに怒ることを幼い頃から学べたら良いのですが、そう言ってもいられません。なぜなら、子どもの怒りは不愉快極まりないものだからです。子どもというのは、ひっぱたき、噛みつき、頭突きし、金切り声を出すということを思い出してください。そして、(私も例にもれることなく)多くの両親が、怒りを、悪い、罪深いことのように考えてしまうために、怒りを適切に表現することを教えずに、子どもの怒りを押さえつけようとしてしまうのです。結果として、私たちの多くが、「罪を犯さずに」怒りを表現するために必要な技能を習得できないまま、大人になるのです。
私にとって助けとなった資料は、児童心理学者ロス・キャンベルの「怒りのはしご」でした。これは『子どもに愛が伝わる5つの方法』(ゲーリー・チャップマン共著)の中に収められています。「怒りのはしご」は、怒りに対処することに習熟するための具体的なステップを説明するものです。当初、この方法は子育てを意図したものでしたが、この領域において発達段階にある大人にとっても役立ちます。そして、「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません」とは、一体どういう意味なのかを教えてくれます。キャンベルは、私たちが怒りを感じるときに、次のことを目標にするよう、提案しています。
- 感情にあなたの判断を曇らせず、理論的に考えること
- 関係のない不満は表現せずに、いちばん重要な不満だけに集中すること
- 怒りの原因に焦点を合わせ、原因を他の誰かに転嫁しないこと
- 言葉と行為において親切さを保つこと
- 問題解決の糸口を探すこと
もし、あなたが怒りのコントロールに苦労しているなら、これを見て、現実離れした目標だと感じるかも知れません。しかし、私がゴールに向かって励めるよう、助けてくれたのは、「怒りは2次的な感情にすぎない」という概念です。言い換えるなら、私たちが怒っているときには、大抵、他の感情が表面下に隠されているのです。
関係性の研究者ジョン・ゴットマンは、怒りを氷山にたとえました。氷山は、その全体のわずか10%だけが水面上に出ていて、残りはすべて、水面下に隠れています。同様に、私たちが怒っているときには、大抵、他の感情も経験しているのです。それには、見下され、拒絶された悲しみ、不名誉や恥ずかしさ、恐れや不安、あるいは単なる疲労や空腹といった、できれば隠しておきたい感情が含まれます。それゆえ、怒りのコントロールを習得するための1つの方法は、水面下にある感情を見つめ、何が怒りの感情を誘発しているのかを特定することなのです。
はじめて、怒りの氷山の水面下を見つめることを学んだとき、私は、空腹時に怒りを感じやすいことに気がつきました。しかも、これには、れっきとした「hangry」という名詞があるのです(hungryとangryの造語:空腹で怒る)。こうして、私は、私の怒りの発端が空腹であると知りました。そして、(1)独り言を言う、(2)深呼吸する、(3)意図的に話さないようにすることによって、食事前の空腹と共に訪れる、そのような瞬間をやり過ごすことができるようになりました。
私の主人は、私がとてつもなく静かに、食事の準備に没頭しているときには、冗談を飛ばしたり、大切な会話をしたりすべきではないことを知っています。その代わりに、主人は「お腹すいた?」と聞き、私がうなずくと、手慣れた様子で「そういうことね」と言い、一生懸命、食事の準備を手伝ってくれます。
もし今度、あなたが怒りを感じたなら、立ち止まって、本当は何を感じているのかを考えてみましょう。怒りの氷山の水面下を見つめられるようになるには、何回かのチャレンジが必要かも知れません。なぜなら、多くの人は、怒りや、恨み、悲しみ、あるいは喜びの向こう側にある感情を、どう説明したら良いかわからないからです。ですが、それでも、あえておすすめしたいと思います。きっと、あなたは自分の発見に驚くはずです。そして、怒りを引き起こしている根本的な感情に気づいた途端、あなたの怒りがどれほどコントロール可能であるかに驚くはずです。
私にとって助けとなったもう1つの聖書箇所は、エフェソの信徒への手紙4章29節です。そこでパウロは「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」と書いています。私にとって、この聖句で一番大切なのは「(悪い言葉が出るのを)許してはなりません(英文NIV訳)」という言葉です。それは、私たちの口から出る言葉を、自分でコントロールできるということです。
数年前、ある説教を聞いている最中に、私はこの事実を突きつけられました。その牧師先生は、説教の中で怒りのコントロールについて話していました。彼は次のように言いました。「あなたが、伴侶や子どもに対して、怒りながら話しているのを想像してください。すると、電話が鳴ります。あなたはすぐさま、別人のように声の調子を和らげられるでしょう」。聴衆のほとんどが、きまり悪そうに笑いましたが、私たちは彼の話した真理に気がつきました。
神のかたちに創造された人間として、私たちは言葉と行動を選択する自由を持っています。言葉や行動は、人を造り上げることも、傷つけることもできます。ですから、この自主隔離期間中に、もし、新たな怒りの1章を作ってしまいそうになったなら、何回か深呼吸し(あるいは、戸外を散歩してでも)、あなたが本当に感じていることを特定しましょう。そして、「怒っても、罪は犯さない」ようになるまでは、意図的に何も話さないでいられるということを覚えておいてください。なぜなら、あなたは、自分の口から出す言葉をコントロールできるからです。
本記事の原文は、アドベンチスト・レコードによって投稿されたものです。
*本稿は、『Adventist Review』に2020年4月3日に掲載された‘Managing Anger in the Midst of COVID-19――In your anger [and self-isolation] do not sin.’の抄訳です。