セブンスデー・アドベンチスト教会

神は、創造のみわざに関する確かで歴史的な記録を聖書の中に啓示された。主は宇宙を創造し、現在の6日の間に「天地万物」を造り、第7日に休まれた。 こうして神は、文字どおり6日間で成し終えた創造のみわざに絶えず心を向ける記念として、安息日を制定された。 その6日間とは、われわれが現在、安息日とともに1週間と呼ぶものと同じ期間である。 最初の男と女は、創造の冠として神のかたちに造られた。 彼らには世界を治める主権が与えられ、世界を保護する責任が課せられた。 世界が完成したとき、それは神の栄光をあらわしていて、「極めて良かった」。

聖句

創世記1章
初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。
神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。
神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」夕べがあり、朝があった。第五の日である。
神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

創世記2章
天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
これが天地創造の由来である。主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。
しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。
主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。「ついに、これこそわたしの骨の骨わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼうまさに、男(イシュ)から取られたものだから。」こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。

創世記5章
これはアダムの系図の書である。神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。
アダムは百三十歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた。アダムはその子をセトと名付けた。アダムは、セトが生まれた後八百年生きて、息子や娘をもうけた。アダムは九百三十年生き、そして死んだ。
セトは百五歳になったとき、エノシュをもうけた。セトは、エノシュが生まれた後八百七年生きて、息子や娘をもうけた。セトは九百十二年生き、そして死んだ。
エノシュは九十歳になったとき、ケナンをもうけた。エノシュは、ケナンが生まれた後八百十五年生きて、息子や娘をもうけた。エノシュは九百五年生き、そして死んだ。
ケナンは七十歳になったとき、マハラルエルをもうけた。ケナンは、マハラルエルが生まれた後八百四十年生きて、息子や娘をもうけた。ケナンは九百十年生き、そして死んだ。
マハラルエルは六十五歳になったとき、イエレドをもうけた。マハラルエルは、イエレドが生まれた後八百三十年生きて、息子や娘をもうけた。マハラルエルは八百九十五年生き、そして死んだ。
イエレドは百六十二歳になったとき、エノクをもうけた。イエレドは、エノクが生まれた後八百年生きて、息子や娘をもうけた。イエレドは九百六十二年生き、そして死んだ。
エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。エノクは三百六十五年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。
メトシェラは百八十七歳になったとき、レメクをもうけた。メトシェラは、レメクが生まれた後七百八十二年生きて、息子や娘をもうけた。メトシェラは九百六十九年生き、そして死んだ。
レメクは百八十二歳になったとき、男の子をもうけた。彼は、「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」と言って、その子をノア(慰め)と名付けた。レメクは、ノアが生まれた後五百九十五年生きて、息子や娘をもうけた。レメクは七百七十七年生き、そして死んだ。
ノアは五百歳になったとき、セム、ハム、ヤフェトをもうけた。

創世記11章
世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。
セムの系図は次のとおりである。セムが百歳になったとき、アルパクシャドが生まれた。それは洪水の二年後のことであった。セムは、アルパクシャドが生まれた後五百年生きて、息子や娘をもうけた。
アルパクシャドが三十五歳になったとき、シェラが生まれた。アルパクシャドは、シェラが生まれた後四百三年生きて、息子や娘をもうけた。
シェラが三十歳になったとき、エベルが生まれた。シェラは、エベルが生まれた後四百三年生きて、息子や娘をもうけた。
エベルが三十四歳になったとき、ペレグが生まれた。
エベルは、ペレグが生まれた後四百三十年生きて、息子や娘をもうけた。
ペレグが三十歳になったとき、レウが生まれた。ペレグは、レウが生まれた後二百九年生きて、息子や娘をもうけた。
レウが三十二歳になったとき、セルグが生まれた。レウは、セルグが生まれた後二百七年生きて、息子や娘をもうけた。
セルグが三十歳になったとき、ナホルが生まれた。セルグは、ナホルが生まれた後二百年生きて、息子や娘をもうけた。
ナホルが二十九歳になったとき、テラが生まれた。ナホルは、テラが生まれた後百十九年生きて、息子や娘をもうけた。
テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが生まれた。
テラの系図は次のとおりである。テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。アブラムとナホルはそれぞれ妻をめとった。アブラムの妻の名はサライ、ナホルの妻の名はミルカといった。ミルカはハランの娘である。ハランはミルカとイスカの父であった。サライは不妊の女で、子供ができなかった。
テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。テラは二百五年の生涯を終えて、ハランで死んだ。

出エジプト記20:8~11
安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。

詩編19:2~7
天は神の栄光を物語り大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく声は聞こえなくてもその響きは全地にその言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。太陽は、花婿が天蓋から出るように勇士が喜び勇んで道を走るように天の果てを出で立ち天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。

詩編33:6、9
御言葉によって天は造られ主の口の息吹によって天の万象は造られた。
主が仰せになると、そのように成り主が命じられると、そのように立つ。

詩編104
わたしの魂よ、主をたたえよ。主よ、わたしの神よ、あなたは大いなる方。栄えと輝きをまとい光を衣として身を被っておられる。天を幕のように張り天上の宮の梁を水の中にわたされた。雲を御自分のための車とし風の翼に乗って行き巡りさまざまな風を伝令とし燃える火を御もとに仕えさせられる。
主は地をその基の上に据えられた。地は、世々限りなく、揺らぐことがない。深淵は衣となって地を覆い水は山々の上にとどまっていたがあなたが叱咤されると散って行きとどろく御声に驚いて逃げ去った。水は山々を上り、谷を下りあなたが彼らのために設けられた所に向かった。あなたは境を置き、水に越えることを禁じ再び地を覆うことを禁じられた。
主は泉を湧き上がらせて川とし山々の間を流れさせられた。野の獣はその水を飲み野ろばの渇きも潤される。水のほとりに空の鳥は住み着き草木の中から声をあげる。
主は天上の宮から山々に水を注ぎ御業の実りをもって地を満たされる。家畜のためには牧草を茂らせ地から糧を引き出そうと働く人間のためにさまざまな草木を生えさせられる。ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせパンは人の心を支える。主の木々、主の植えられたレバノン杉は豊かに育ちそこに鳥は巣をかける。こうのとりの住みかは糸杉の梢。高い山々は野山羊のため。岩狸は岩場に身を隠す。
主は月を造って季節を定められた。太陽は沈む時を知っている。あなたが闇を置かれると夜になり森の獣は皆、忍び出てくる。若獅子は餌食を求めてほえ神に食べ物を求める。太陽が輝き昇ると彼らは帰って行きそれぞれのねぐらにうずくまる。人は仕事に出かけ、夕べになるまで働く。
主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。
同じように、海も大きく豊かでその中を動きまわる大小の生き物は数知れない。舟がそこを行き交いお造りになったレビヤタンもそこに戯れる。彼らはすべて、あなたに望みをおきときに応じて食べ物をくださるのを待っている。あなたがお与えになるものを彼らは集め御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。御顔を隠されれば彼らは恐れ息吹を取り上げられれば彼らは息絶え元の塵に返る。あなたは御自分の息を送って彼らを創造し地の面を新たにされる。
どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。主が地を見渡されれば地は震え山に触れられれば山は煙を上げる。命ある限り、わたしは主に向かって歌い長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び祝う。どうか、罪ある者がこの地からすべてうせ主に逆らう者がもはや跡を絶つように。
わたしの魂よ、主をたたえよ。ハレルヤ。

イザヤ書45:12、18
大地を造り、その上に人間を創造したのはわたし。自分の手で天を広げその万象を指揮するもの。
神である方、天を創造し、地を形づくり造り上げて、固く据えられた方混沌として創造されたのではなく人の住む所として形づくられた方主は、こう言われる。わたしが主、ほかにはいない。

使徒言行録17:24
世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。

コロサイの信徒への手紙1:16
天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。

ヘブライ人への手紙1:2
この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。

ヘブライ人への手紙11:3
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。

ヨハネの黙示録10:6
世々限りなく生きておられる方にかけて誓った。すなわち、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方にかけてこう誓った。「もはや時がない。

ヨハネの黙示録14:7
大声で言った。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」

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