セブンスデー・アドベンチスト教会

あなたの神は、今どこにいるのか?

あなたの神は、今どこにいるのか?

「あなたの神は、今どこにいるのか?」

――現在の危機は、イエスを世界に伝える、かつてない機会を提供する。

ジェイミー・ジーン・シュナイダー・ドム(北アメリカ支部デジタル戦略、ソーシャルメディア、ビッグデータ担当)

世界がコロナウイルス感染症の世界的感染大流行(以下、パンデミック)に気づいたあの週末、世界は相次ぐ閉鎖と、人類史上かつてないほどの生活の変化を経験することになりました。

同じ週末、ウェブ上には、驚くほど多くの反キリスト教的発言が姿を現していました。私は、50を超える宣教ソーシャルメディアのアカウント管理者ですが、私への通知は憎しみの込もったコメントで埋め尽くされました。それらは、私たちや、私たちの信仰を攻撃的にあざ笑い、ある場合には、私たちには理解不能な曲がりくねった理論を通して、クリスチャンや、私たちの「馬鹿げた」思想を非難していました。

私が何よりもショックを受けたのは、このような振る舞いが、あらかじめ聖書の中に記されていたということです。これは、私が聖書を信じていなかった、という意味ではありません。しかし、私は心のどこかで、それがもっと先のことだろう、と思っていたのです。まさか、私がそれを、2020315日、じかに経験することになろうとは、予想もしませんでした。

ペトロは私たちに警告しました。「まず、次のことを知っていなさい。終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、こう言います。『主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか』」(ペトロの第2の手紙334節 ©️日本聖書協会)。

私は、寄せられたコメントを細かく調べ、消去し、私たちの信仰のコミュニティーを守るため、このような危機の中で、しつこい嫌がらせを続ける人々を接続禁止にしていました。すると、そこで繰り返されている1つの言葉に気づきました。「私の神は、今どこにいるのか?」そのあまりの多さに、私は途中で数えるのをやめたほどです。私は、同じコメントを無数に目にし、そこには、私たちの救い主をあざ笑う、下品な画像が添えられていることもありました。こうして、机上の空論に基づいて攻撃する人々から寄せられる敵意には、大いに気をもみました。

しかし、この疑問は残ります。「私の神は、今どこにいるのか?」それから数日して、牧師たちや働きのリーダーたちが状況に順応するにつれて、私は、教会から膨大な量の創造性や革新が現れるのを目の当たりにしました。

私は、あざ笑う人々に対する答えが、これであると気づきました。私たちが家に閉じこもっている間にも、神は働いておられるのです。

初代教会は、迫害から逃げる必要に迫られて、福音を新しい地域へ持っていきました。2000年後、私たちは同じような状況にあります。私たちは、福音のメッセージをデジタルな伝道の領域に伝え、私たちの希望と全体的なメッセージを、それが最も必要とされるときに広めなければなりません。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマの信徒への手紙828節 ©️日本聖書協会)。

ダニエル書3章において、神は3人のヘブライ人の青年たちを、炎の外へと救い出されませんでした。しかし、神は、ネブカドネツァル王とその王国に対する証しとして、彼らを炎の中で救ってくださいました。

炎の中で、3人の青年は神に近づき、受肉前のキリストと共に歩きました。彼らの経験は、より大きな目的を果たして、今日でも私たちに証ししています。神は、炎や迫害、あるいは疫病をお造りになりませんでしたが、この危機の中で、魂の救いを成し遂げるという、み旨を成し遂げるため、ご自分の教会を導くことがおできになります。神は、人に対してみ力を現わされ、いと高きお方が人類を支配しておられることを、人が知るようになさるでしょう(ダニエル書417節参照 ©️日本聖書協会)。

世界はばらばらになってしまい、人々は恐怖に身がすくんでいるように見えます。神は、今どこにおられるのでしょうか? 神は、すべての教会と弟子たちに託された使命を成し遂げるために、信仰によって一歩を踏み出している、すべてのデジタル伝道者の心の中に働いておられます。神は、ご自分のみ業を成し遂げる上で、私たちの力を必要となさいませんが、聖霊と共に働くよう、私たちを召しておられます。これは、私のようなデジタル信奉者たちにとっては、祈りに対する待望の答えなのです。

残念なことに、教会がデジタル技術を大々的に採用するようになるためには、パンデミックが必要でした。終末が近いことを知る人々から見れば、私たちはあまりにも長い間、のろのろと歩いて来ました。コロナウイルス感染症は、私たちの自己満足に対する一蹴であり、また、デジタルの時流に便乗するように促す注意喚起です。私たちは10年以上、これらの技術を用いようとしてきました。私は、聖霊が私たちにこれらの技術を使用するよう、強く求めておられると思います。

私たちは今まで、若年層の必要と期待に応えるため、デジタル時代における教会を再考するよう提唱してきましたが、私たちの声は、あまりにも極端なものとして片付けられてきました。しかし、一夜にして景色は変わり、今、私たちは教会を、万人向けの建物抜きに考え直すよう、強いられています。おそらく、これが転換期なのです。私たちは教会を、他の人々の幸福を増大させ、福音を広めるために力を尽くして行動する「人々」としてではなく、週に数時間訪れる「場所」として考えることに、あまりにも慣れすぎているのです。

今こそ、未来と、教会のあり方に目を向けるべき時です。これまで、私たちのようなデジタル技術の信奉者たちは、変えることが困難なシステムや伝統と対峙してきました。しかし、それらの仕組みや考え方は、この新たな現実を前にして、急速に時代遅れとなりつつあります。

もはや、今の世代には、変化を受け入れるか、それを次の世代に任せるか、などという選択肢はありません。今がその時であり、そうしなければ、私たちは見当違いの存在に成り下がるでしょう。変化はたやすくはありませんが、主と共にあるなら、すべてが可能です。

私たちの社会を脅かす、この衝撃的な出来事を、恐れる必要はありません。神は、いつも私たちと共におられます。そして、私たちは、働きを続けるために、この新しい現実を受け入れ続けるべきです。間違いなく、私たちの世界が元に戻ることはありません。コロナウイルス感染症は、ビジネス、組織、社会機能を根底から変えてしまうでしょう。世代を問わず、誰もが、生産性と日常生活のために、デジタル技術を活用せざるを得なくなります。

このパンデミックが終わり、私たちがもう一度、兄弟姉妹を受け入れることができるようになったときには、誰もが経済的低迷をさけるための倹約を強いられるでしょう。(パンデミックが)自然環境に与える好影響は、私たちの生活様式に生じた変化を固定化し、旅行は贅沢なものとなるでしょう。

これが世界をどれほど変えてしまうかは、神のみがご存じです。しかし聖書は、これが産みの苦しみの始まりにすぎない、と教えています。さらに多くの疫病と苦難が訪れます。おそらく、今後も社会的距離を取り続けていかなければならないでしょう。しかし、孤立して過ごす時間は、私たちの希望と全人性のメッセージの中にある真理と確証を探究する時間を、私たちに豊かに与えてくれます。人々は今後も、交流、相互理解、情報の入手、匿名性の確保などのためにインターネットを利用し続けるでしょう。私たちは、このような危機において、そしてその後に応答する、オンライン上の声でなければなりません。

コロナウイルス感染症は結末ではなく、神の教会が目覚め、用意するための警告です。イエスはやがて再臨されますが、私たちはまだ働きを完了していません。この危機は、用意し、人々を駆り集めるためのチャンスです。デジタル世代の伝道者と弟子たちが、デジタル伝道地に福音を伝えるときが来たのです。おそらく、これは最後の伝道地となるでしょう。そして、これは現代に生きる私たちの重大な任務なのです。

この原文は、北米支部ソーシャルメディア・ビッグデータサービスのサイトデジタル伝道ブログに掲載されたものです。

*本稿は、『Adventist Review』に2020413日に掲載された‘Where Is Your God Now?――The current crisis present unprecedented opportunities for presenting Jesus to the world.’の抄訳です。