セブンスデー・アドベンチスト教会

なぜ健康的なライフスタイルを勧めるのですか?

人間は「霊的・知的・身体的」存在であり、それらは人格において統合され分かちがたく結びついています。「福音による全人的回復」の視点から、アドベンチスト教会は身体的健康にも関心を注いできました。聖書は、私たちの身体は「聖霊が宿ってくださる神殿である」として、次のように述べています。

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」[(c)日本聖書協会 コリントの信徒への手紙一・6章19、20節]。

聖書に教えられている健康原則を実行することは、人々に多くの祝福をもたらしてきました。創造当初、神は、「種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物になる」と言われ、人間の主たる食物として植物性食品をお与えになりました。アドベンチスト教会は、この神様の勧告を実践することによって多くの祝福にあずかってきました。

現代医学は、がんや心臓病など生活習慣病の予防に、緑黄色野菜を中心とする食生活がいかに有効であるかを実証してきました。また、逆に喫煙や肉類を中心とする食生活がいかに健康に害をもたらすものであるかが、ますます明らかになってきました。

米国がん研究財団は「食物・栄養・ガン予防—世界的視野から」(1997)と題した膨大な報告書を作成しました。この中で「喫煙と肉類を避け、多くの野菜と果実を中心にした植物性のバラエティーに富んだ食事をすること」を勧告し「これによりがんのリスクを60〜70%減らせる」と報告しました。

国立がんセンターの平山雄元疫学部長は、日本における健康調査の結果から、最も健康的な日本人はアドベンチストのライフスタイルを実行している人たちであると結論しました。彼は、健康増進のために「SDA型ライフスタイル」を提唱し、「禁煙・菜食・がん予防」という標語を作り出しました。

アドベンチスト信仰の特徴の一つは、「真剣に生活の中に生きる信仰」なのです。この世で「より良きキリストへの奉仕」に携わるために、より良い心身の健康を増進するために、神様から与えられた健康原則に従いながら、キリストの業にあずかっていくのです。

私たちは、神様から与えられた「霊的・知的・身体的」健康をできるだけ良い状態に保つことによって「神の栄光を現すこと」を期待されているのです。ゆえに使徒ヨハネは「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています」[(c)日本聖書協会 ヨハネの手紙3・2節]と書いているのです。

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よくある質問一覧

教派によって教えが異なるのはどのような点ですか?

Q、キリスト教の諸教会の間で、教派によって教えが異なるのはどのような点ですか? それらの点に関するアドベンチストの立場はどのようなものですか?

A、プロテスタントの諸教会の間でも、救いにおける人間の意志・バプテスマ(洗礼)の形式、人間の死後の状態、十戒の永続性、第七日安息日遵守の必要性などは教会によって見解が異なります。
例えば、ある教会は、救いにおける人間の自由意志と責任を強調しましたが、一方、人間の救いはすべて神によって定められている(いわゆる予定説)と説いている教会もあります。
アドベンチストは、人間が救いを選ぶことも、拒むこともできると理解しています。
あるプロテスタントの教会では、カトリック教会と同じく幼児にバプテスマを授けますが、アドベンチストは幼児洗礼は行いません。なぜなら、バプテスマは回心者本人の信仰をあかしする聖典であると考えるからです。
またアドベンチストは、バプテスト教会と同じく、聖書の教えに従って全身を水に沈める、沈めのバプテスマを行います。人間の死後の状態については、人間は魂と肉体を分けることのできない存在であり、肉体の活動が停止すると同時にすべての精神活動も停止し、よみがえりの時まで無意識の眠りの状態にあると聖書から理解しています(伝道の書9:5、ヨハネによる福音書5:28,29)。
十戒については、神の人間に対する意志がここに表わされており、神を愛し人を愛する人間のあり方を具体的に示しているこの十の戒めは、各時代のすべての人間が守るべき、不変の道徳律であると信じています。十戒の第四戒は、「安息日を覚えて、これを聖とせよ。……主は安息日を祝福し聖とされた」と命じていますが、聖書が聖日として教えているのは、第7日安息日(現在の土曜日)です。
アドベンチストは聖書に従って、この日を礼拝と奉仕の日として守っています。
しかし、教派によって例えそういった相違はあったとしても、キリストの十字架の犠牲を通してあらわされた神の愛による救いを宣べ伝えている限り、世界的な福音宣教を担う者同志として、互いに尊重しあうべきであると考えています。

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同じ聖書に基づいていながら、なぜいろいろな教派があるのですか?

Q、同じ聖書に基づいていながら、なぜいろいろな教派があるのですか?

A、キリスト教の教派は、それぞれの教派が生まれてきた国、時代、創立者など、歴史的背景の相違から別個の教派を形成してきました。また聖書の解釈の違いから新しい教派が生じることもあります。

しかし、正統的、プロテスタントの信仰に立つ教会は、三位一体の神、イエス・キリストの神性及び人性、聖書の霊感、人間の本性と罪、イエス・キリストによる救い、最後の審判とキリストの再臨など、共通の信仰をもっています。これらの教理に関しては、アドベンチストは伝統的プロテスタントと同じ信仰に立っています。

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アドベンチスト教会の教えは何を根拠にしているのですか?

A、アドベンチストは、聖書が神の霊感によって与えられ、人間の救いに必要な知識を与える神の言葉であると信じています。従って聖書は信仰と行為の誤りなき規準です。
アドベンチスト教会の教えは、熱心な聖書研究の結果得られたもので、教会の名称の由来になっている第七日安息日にしても、再臨にしてもその教えはみな聖書に基づいています。

聖書が最終的な権威であり、規準であるというのがプロテスタント教会の特徴ですが、その意味では、アドベンチストはプロテスタント中のプロテスタントということができましょう。

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なぜ土曜日が安息日なの?

A、問題は、何が自分に好都合で、何が不都合かではなく、信仰と行為の規準である聖書が何と教えているかです。聖書は、安息日の起源を記した創世記の2章から新約聖書まで、終始一貫して週の第7日、すなわち現在の土曜日を聖日として定めています。

現代の多くのキリスト教会は日曜日を礼拝日としています。どうしてこうなったのでしょうか。

2世紀以前、初期のキリスト教会が日曜日を礼拝日としていた記録はありません。

歴史的には、安息日を日曜日とする習慣は、ローマから始まりました。ローマ帝国の首都ローマでは、反ユダヤ的感情が次第に強くなりました。ローマのクリスチャンは、ユダヤ人から自分たちを区別するために、ユダヤ人にとって重要な第七日安息日の代わりに日曜日を礼拝日として守るようになりました。しかし、二世紀から五世紀にかけて、ローマ教会の影響が次第に強くなる中で、ローマ帝国内の多くのキリスト教会は土曜安息日を守っていました。五世紀の歴史家ソクラテスは「帝国内のほとんどすべての教会は毎週安息日に聖なる奥義を祝っている。ところが、アレキサンドリアとローマのクリスチャンは、古来の慣例という理由で、これを中止してしまった」と記録しています。

ローマの教会が日曜日を礼拝日として採用したのは、ローマの反ユダヤ的感情のほかに、もう一つの理由がありました。それは、ローマにおいては太陽神の礼拝が広く行われていたことです。この太陽神の礼拝は、日曜日の礼拝と一致するものでした。

ローマ帝国のコンスタンチン大帝は、紀元321年、日曜令を発布しました。「尊ぶべき太陽の日には、行政官や町に住む人たちを休息させ、すべての仕事場を閉じるべし。しかし、地方において農業に従事する人々は、今まで通り自由かつ合法的に、その仕事を続けてもよい」。

やがて、キリスト教はローマ帝国から国教として認められるようになり、ローマ・カトリック教会が形成され、政治的な理由で、日曜礼拝は帝国内に徹底されていきました。ここで政治勢力と宗教勢力が合体し、ローマ帝国の帝王は、同時に教会の長(法王)として君臨するようになりました。

16世紀に入るとマルチン・ルターによる宗教改革が起こりました。当時のローマ・カトリック教会に対して、教会の伝統よりも「聖書のみ」が、キリスト信仰の根拠であると主張したのです。聖書のみに基づいてキリスト信仰を見直そうとするこのルターの姿勢は正しかったのですが、こと日曜礼拝の根拠については、彼は聖書的根拠を持っていませんでした。ローマ・カトリック教会のジョン・エックは、ルターに対して「聖書のみというなら、日曜礼拝の根拠はどこにあるのか」と批判し、こう言ったのです。

「聖書には『安息日を覚えてこれを聖とせよ。六日の間働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから……』[(c)日本聖書協会 出エジプト記第20章8節]と書いてあります。教会はその権威によって安息日を日曜日に変えました。この点において、あなたは、何の聖書的根拠も持っていないのです」。

さすがのルターも、この安息日については反論できませんでした。

 

ローマ・カトリック教会は現在も同じ立場をとっています。1977年版の『改宗者のためのカトリック教理問答』の中でこう述べています。

問い 安息日はいつですか?
答え 土曜日が安息日です。

問い どうして土曜日の代わりに日曜日を守るのですか?
答え 私たちが、土曜日の代わりに日曜日を守るのは、カトリック教会が土曜日から日曜日に移したからです。

実は、この安息日の変更については、すでに聖書に預言されていたのでした。聖書はあらかじめサタンが神の律法を変えようと試みることを預言しています。旧約聖書の中で、ダニエルは「彼はいと高き方に敵対して語り いと高き方の聖者らを悩ます。彼は時と法を変えようとたくらむ」[(c)日本聖書協会 ダニエル書7章25節]と書き記しました。

ここで「時と法を変えようとたくらむ」と預言されていました。時を変えたというのは、安息日を土曜日から日曜日に変えたことです。法を変えたというのは、カトリック教会が神の十戒の偶像礼拝を禁じる第二条を削除して第10条を二つに分けてしまったことでした。これにより、当時カトリック教会で行われていた聖画像や聖遺物礼拝への障壁が取り除かれたのでした。

安息日の聖書的根拠

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多くのプロテスタント教会(非カトリック教会)は、なぜ日曜日を礼拝日とするかについて、日曜日にキリストが復活されたからであると主張しています。しかし、キリストの復活後、日曜日を礼拝日とするようにキリストあるいは使徒たちが教えまた実行したという記録はどこにもありません。またキリストが安息日を変えられたという聖書的根拠は存在しないのです。

もし本当に安息日が日曜日に変えられたとするならば、創世記の初めから聖書が重要視している安息日の教えについて聖書が何もコメントしていないことの方が不自然なのです。

1976年、全世界を襲ったオイルショックによるエネルギー危機のとき、米国の有力なプロテスタント教会の『今日のキリスト教(Christianity Today)』誌は、「エネルギー危機を克服するために、週に一度、日曜日をみんなの休日として、エネルギーを節約するように」と提案しました。

これは日曜日を礼拝日とする多くのキリスト教会からはすんなりと受け入れられたのですが、土曜日を礼拝日とする教会からは反対されました。それを受けて同誌の編集者は、こう再提案したのです。

「それでは、土曜日をみんなの休日とするように提案します。プロテスタントとカトリックにとって神学的な問題はありません。キリストが週の初めの日(注・日曜日)に死からよみがえられたという事実以外には、土曜日ではなくて日曜日を聖日として守ることを要求する箇所は、聖書のどこにもないからです」(Christianity Today、1976年11月5日)。

聖書を私たちの信仰の土台とする限り、この編集者の言うように、第七日が聖書の主張する安息日であることは明白なのです。

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より詳しく学ばれたい方のために、聖書通信講座を学ばれることをお勧めします。