神の言葉
旧新約聖書は書かれた神の言葉、神の霊感によって与えられた言葉である。
霊感を受けた著者が、聖霊に動かされるままに語り、また書いた。
この言葉を通して、神は救いに必要な知識を人間に与えられた。
聖書は、最高の啓示、権威ある啓示、神のみ心の誤りのない啓示である。
聖書は品性の標準を示し、人間の経験を吟味し、明確に教理を啓示する。
聖書は歴史における神のみわざについての信頼できる記録である。
旧新約聖書は書かれた神の言葉、神の霊感によって与えられた言葉である。
霊感を受けた著者が、聖霊に動かされるままに語り、また書いた。
この言葉を通して、神は救いに必要な知識を人間に与えられた。
聖書は、最高の啓示、権威ある啓示、神のみ心の誤りのない啓示である。
聖書は品性の標準を示し、人間の経験を吟味し、明確に教理を啓示する。
聖書は歴史における神のみわざについての信頼できる記録である。
父と子と聖霊の、永遠に共存する3つの位格から成るひとりの神がおられる。
神は朽ちることなく、全知全能で、すべてのものを超え、常に変わることなく存在される。
神は人間の理解を超える無限のお方であるにもかかわらず、ご自身を啓示されることによって、人間に知られるお方である。
愛であられる神は、すべての造られたものの礼拝と尊崇と奉仕を永遠に受けるにふさわしいお方である。
父なる神はすべてのものの創造者であって、すべて造られたものの源であるとともに、それらを保ち、支配されるお方である。
父なる神は正しく聖なる方、あわれみと恵みに富み、怒ること遅く、変わらない愛と真実に満ちあふれているお方である。
み子と聖霊に見られる性質と力も、父なる神のものである。
子なる神は人間の肉の姿を取ってイエス・キリストとなられた。万物はみ子を通して創造された。 また、み子を通して神のご性質が明らかにされ、人間の救いが全うされ、世界は裁かれる。 永遠からまことの神であられたみ子は、救い主イエスとしてまことの人間になられた。 み子は聖霊によってみごもられ、処女マリアよりお生まれになった。 み子は人間として生き、試みにあわれたが、神の義と愛を完全にあらわされた。 奇跡によってみ子は神の力をあらわし、ご自身が神の約束の救い主であることを証明された。 み子はわれわれの罪のために、われわれの身代わりとなって苦しみを受け、自ら十字架にかかり、死者の中から復活し、われわれのために天の聖所で奉仕するために天に昇られた。 み子はご自分の民を最終的に救い出し、すべてのものを回復するために、栄光のうちに再び来臨される。
引用聖句を読むイザヤ53:4~6、ダニエル9:25~27、ルカ1:35、ヨハネ1:1~3、14、5:22、10:30、14:1~3、9、13、ローマ6:23、Ⅰコリント15:3、4、Ⅱコリント3:18、5:17~19、フィリピ2:5~11、コロサイ1:15~19、ヘブライ2:9~18、8:1、2聖霊なる神は創造と受肉と贖いのみわざにおいて、父なる神、子なる神とともに働かれた。 聖霊は、父なる神、子なる神と同様に1つの位格であられる。聖霊は聖書記者たちに霊感を与えられた。 聖霊はキリストの生涯を力で満たされた。 聖霊は人間を引き寄せ、その罪を指摘される。 そして、それに応答する者を生まれ変わらせ、神のかたちへと変えられる。 聖霊は父と子からつかわされて常に神の子らとともにあり、教会に霊の賜物を与え、キリストをあかしするように教会を力づけ、聖書に従って教会をあらゆる真理へと導かれる。
引用聖句を読む創世記1:1、2、サムエル記下23:2、詩編51:11、イザヤ61:1、ルカ1:35、4:18、ヨハネ14:16~18、26、15:26、16:7~13、使徒言行録1:8、5:3、10:38、ローマ5:5、Ⅰコリント12:7~11、Ⅱコリント3:18、Ⅱペトロ1:21神は、創造のみわざに関する確かで歴史的な記録を聖書の中に啓示された。主は宇宙を創造し、現在の6日の間に「天地万物」を造り、第7日に休まれた。
こうして神は、文字どおり6日間で成し終えた創造のみわざに絶えず心を向ける記念として、安息日を制定された。
その6日間とは、われわれが現在、安息日とともに1週間と呼ぶものと同じ期間である。
最初の男と女は、創造の冠として神のかたちに造られた。
彼らには世界を治める主権が与えられ、世界を保護する責任が課せられた。
世界が完成したとき、それは神の栄光をあらわしていて、「極めて良かった」。
人間は、個性を備え、思考し、行動する力と自由を持つ神のかたちに造られた。
人間は自由な存在として造られたが、肉体と精神と魂の分けることのできない統一体であって、いのちと呼吸とその他すべてを神に依存している。
アダムとエバが神に従わなかったとき、彼らは神に頼ることを拒み、高い地位から転落してしまった。彼らのうちにある神のかたちは傷つけられ、彼らは死ぬべきものとなった。
子孫たちはこの堕落した性質とその結果を受け継いだ。
彼らは弱さと悪への傾向を持って生まれる。
しかし神は、キリストにおいて世をご自分と和解させ、聖霊によって悔い改めた者のうちに造り主のみかたちを回復させられる。
人間は神の栄光のために造られ、神と人を愛し、その周囲のものを管理するように召されている。
すべての人間はキリストとサタンの大いなる戦いに巻き込まれている。
それは神の品性と律法および宇宙に対する主権をめぐる戦いである。
この戦いは天において、選択の自由を与えられて造られた存在が、自らを高くすることによって神の敵サタンとなり、一部の天使たちを反逆へと誘い出したときに始まった。
サタンはアダムとエバに罪を犯させ、世界に反逆の精神をもたらした。
この人間の罪は、人間のうちにある神のかたちをゆがめ、造られた世界の秩序を乱した。
そしてついには、創世記1章から11章の歴史的記録の中に記されているように、地球規模の洪水が起こり、荒廃状態を生じさせることになった。
世界は、造られたものすべてが注目する宇宙的な戦いの舞台となった。この戦いを通して、神は愛であることが究極的に擁護される。
キリストはこの戦いの中にあるご自分の民のために、聖霊と忠実な天使をつかわし、救いの道を歩む彼らを導き、守り、支えられる。
神は、神のみ心に完全に従ったキリストの生涯とその苦難、死、復活を通して、人間の罪を贖う唯一の方法を提供された。
それは、信仰によって贖いを受け入れる者が永遠のいのちを受け、すべての造られたものが創造主の無限の聖なる愛をよりよく理解するようになるためである。
この完全な贖いは、神の律法が義であり、神の品性が恵み深いことを擁護する。
神の義と恵みは、われわれを罪に定めるとともに、われわれに赦しをもたらすからである。
キリストの死は身代わりの死であって、われわれに贖いと和解と変革をもたらす。
見える形でのキリストの復活は、悪の力に対する神の勝利を宣言し、贖いを受け入れた者には、罪と死に対する究極的な勝利を確信させる。
復活は、イエス・キリストが主であることを示す。
天と地にあるすべての者は、そのみ前にひれ伏す。
神は限りない愛とあわれみをもって、罪を知らないキリストをわれわれのために罪とされた。
それは、われわれがキリストにあって神の義とされるためである。
われわれは聖霊に導かれて自らの必要を悟り、自らの罪深さを認め、イエスに対する信仰を働かせる。
イエスは救い主であり、主であるとともに、われわれの代理にして模範である。
この救いの信仰は、神の恵みの賜物であって、神の言葉の力を通して来る。
キリストを通して、われわれは義とされ、神の息子、娘とされ、罪の支配から救われる。
聖霊によって、われわれは生まれ変わり、清められる。
聖霊はわれわれの心を新たにし、神の律法を心に書きつける。
このようにして、われわれには聖なる生活をする力が与えられる。
われわれは神のうちにあって、神の性質にあずかる者となり、現在も将来の裁きの時も救われることを確信している。