セブンスデー・アドベンチスト教会のはじまり

1 ウィリアム・ミラーと大失望

「イエス・キリストは1844 年10 月22 日に再臨される」――それが、北米で約10 万人規模に広まった再臨運動のリーダー、ウィリアム・ミラーが、聖書とコンコルダンス(聖書語句索引)だけを頼りに聖句と聖句を比較しながら研究を重ねた結論でした。しかし、その日にイエス様の再臨はなく、人々は大失望を経験することとなりました。

2 セブンスデー・アドベンチストの芽生え

その混乱の中に、もう1度聖書を調べ直して真理を追究しようとする小さなグループがありました。彼らはミラーの解釈の何が間違っていたかを詳しく調べた結果、さらに新しい真理に導かれ、ついには第7日安息日とイエス様の再臨とが深く結びつく真理であることを発見したのです。さらに神様は、神の民を励ますためにエレン・ハーモンという17 歳の少女を選ばれました(後のエレン・ホワイト)。彼女に与えられた預言の賜たまもの物を通して、このグループは成長していきました。1853 年になると安息日学校をスタートさせ、1860 年には「セブンスデー・アドベンチスト」という名称を採択しました。そして1863 年にミシガン州において最初の総会を開催したのです。わずか3,500 人の信徒と30人の牧師だけでしたが、今日では信徒数は1700 万人以上となり、毎年100 万人以上の信徒が増え続けています。

日本のセブンスデー・アドベンチスト教会

1 日本に最初に上陸したアドベンチスト宣教師

LaRue
1889 年(明治22 年)、アブラム・ラ・ルーは横浜港と神戸港に上陸し、文書伝道を行いました。2週間だけの滞在でしたが、アドベンチストの教えをはじめて日本へもち込んだのです。

 

2 ウィリアム・グレンジャーと大河平 輝彦

W. C. Grainger
米国・ヒルズバーグ大学に留学していた大河平青年は、学生による講演会に出席し、「三天使の使命」を受け入れ、アドベンチストになりました。卒業を間近に控えた1894 年6月、彼は祖国への熱い思いを止めることが出来なくなり、涙ながら人々に訴えました。「私は帰国して日本に終わりの時代の使命を宣べ伝える責任を感じています。私と一緒に日本に来てくださる方はいませんか?」と。この訴えを聞いたグレンジャー学長夫妻は、日本に行く決意を固めました。学長の職に留まるよりも、困難な日本伝道の道を選んだのです。

3 日本でのアドベンチスト宣教のはじまり

1896 年11 月19 日、横浜に上陸した彼らは、東京麻布に家を借りて「英語聖書研究会」の看板を掲げました。それが「芝和英聖書学校」に発展し、4人の青年(川崎杢太郎・国谷秀・根本俊蔵・松倉寅吉)が日本で最初にバプテスマを受けたのです。
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グレンジャーの伝道活動は困窮をきわめ、1年中同じコート1枚で過ごし、夏は風呂敷で頭を覆って蚊の来襲に耐えたといいます。しかし無理がたたり、来日して3年目、病に倒れます。死の直前、彼は国谷秀を枕もとに呼び、「あなたは同胞を愛しますか?」と問いかけました。国谷は即座に、しかも力強く「はい! 愛します」と答え、グレンジャーの日本伝道の働きは引き継がれたのです。「一粒の麦」となった彼の働きは多くの実を実らせています。

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