什一をすべて「神の倉」に
「十分の一の献げ物をすべて倉に運」べ(マラキ3:10)とは神のご命令です。感謝の念や物惜しみしない心の必要に対する訴えではありません。これはまさに正直であるかどうかの問題です。什一はもともと主のものであるゆえに、所有者であられるお方に返すようにと私たちに命じておられるのです。
什一とその用途については、聖書やエレン・G・ホワイトの勧告の中に数多く言及されています。今日多くのクリスチャンは什一の掟は依然有効であるとは信じています。ところがたびたび持ち出される質問は、
- では今日、倉はいったいどこにあるのだろうか。
- たとえ「倉」がどこにあるのかが分かったとしても、私の什一をすべてその「倉」に納めなければならないのか。
- 什一を自分の判断で一番良いと思う所に献げても良いのだろうか。
- 什一を分配する立場にある人々が責任ある態度で実行していないと私が正直に信じている場合、私の什一をどうすべきか。
- また良い働きをしている自給伝道のグループを知っていて、彼らを支援したいと思うとき、什一でもってそうしても良いのだろうか。これも福音の働きではないでしょうか。
というような質問です。このような問いに答える書籍です。