第12課 難しい箇所の扱い方 6月20日
暗唱聖句
「また、わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい。それは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、神から授かった知恵に基づいて、あなたがたに書き送ったことでもあります。彼は、どの手紙の中でもこのことについて述べています。その手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています。」
Ⅱペトロ3:15,16
今週の聖句
Ⅱテモテ2:10 ~ 15、歴代誌上29:17、ヤコブ4:6 ~ 10、ガラテヤ6:9、使徒言行録17:11
今週の研究
それゆえ、私たちは今週、難しい聖句そのものに目を向けるのではなく、このような難しさの理由は何か、また神の言葉の真理を誠実に追及する者として、私たちはいかにそれらと取り組むことができるのかということに目を向けます。結局、これらの難しい言葉のいくつかは、天のこちら側では解決しないかもしれません。その一方で、聖書の大部分の聖句はまったく難しくありませんし、わずかな難しい聖句によって、神の言葉全体の信ぴょう性や権威に対する私たちの信頼を弱める必要はありません。
火曜日:多くの人が、自分たち以外の何かや誰かに依存しているのだという驚くべき自覚、謙虚な洞察を持つようになりました。彼らは、自分が万物の尺度ではないと気づいたのです。このような人たちは、正しくあるために彼らの自我よりも真理を大切にします。また、真理とは自ら作り出すものではなく、むしろ彼らが向き合うものであることを知っています。おそらくこのような人たちが理解する最大の真理は、彼らが実際には真理をほとんどわかっていないということでしょう。パウロが書いたように、「鏡におぼろに映ったものを見ている」(Ⅰコリ13:12)ということを、彼らは知っているのです。
このように謙遜に考えることには、さまざまな恩恵があります。謙遜に探求する習慣は、知識におけるあらゆる成長の基礎です。なぜなら、それが素直な精神を自然に生む自由を作り出すからです。これは、謙遜な人が必然的にしばしば間違っているとか、彼らがいつも考え方を変えるとか、確信を持つことはないとか、そういう意味ではありません。単に、彼らが聖書の真理に対して従順であるという意味です。彼らは自分の知識の限界を知っているので、聡明な人、傲慢な人、誇り高い人にはできない形で、神の言葉に対する彼らの知識や理解を深めることができます。
水曜日:真の成功には、常に粘り強さが必要です。聖書の中の難しい箇所は、脳を働かせる機会を私たちに与え、また、私たちが解決策を求めることに伴う決意と粘り強さは、その問題が私たちにとってどれほど重要であるかを明らかにします。私たちが聖書の意味とメッセージについて、より多くのものを見いだそうとして聖書研究に費やした時間は、いつも有益に使われた時間です。たぶん答えを求めて聖書を熱心に調べるという経験は、たとえ長い時間をかけたとしても、(最終的に答えが見つかるとして、)問題の解決策より大きな祝福になるでしょう。結局のところ、厄介な問題の解決策を見いだすとき、それは私たちにとって非常に貴重なものとなります。
木曜日:私たちはひざまずいて、新しい観点から難しい箇所を文字どおりに見る、と言われてきました。なぜなら、祈ることで、私たちは、聖書を解釈し理解するうえで神の助けを必要としていることを示すからです。祈ることで、私たちは、聖書記者たちに霊感を与えられた同じ聖霊を通して私たちの心に光を求めるのです。
祈ることで、私たちの動機が明らかにされ、私たちは神に、なぜ読んでいる箇所を理解したいのかを告げることができます。祈ることで、私たちは神に、御言葉を悟らせてください、神の真理に喜んで従い、それを実行する心を与えてくださいと求めます(これはとても重要です!)。私たちの祈りに応えて、神が聖霊によって私たちを導いてくださるとき、神は聖書に啓示されていることと矛盾することはなさいません。神は常に聖書と調和し、私たちに伝えるよう聖書記者たちに霊感をお与えになったことを裏づけ、高められるでしょう。
今週は、聖書の難しい箇所の研究方法を教えているのではありません。難しい箇所に出会った時に、どのように対処するか、ともに学びます。これは聖書を学ぶことだけでなく、教会生活の中で起こったさまざまな問題に対処する場合も同じではないでしょうか。
月曜日は正直、誠実に、火曜日は謙遜、水曜日は粘り強く、木曜日はお祈りをすることが勧められています。これらの根底にあるのは、神さまの言葉を愛して信頼しているか問われているのです。正直と謙遜、ここには聖書の言葉がすべて理解できないこともあることを認めることから始まっています。聖書はくりかえし謙遜であるように勧めています。神さまは、光を発見することを通してわたしたちに語りかけて、そして励ましてくださるのです。聖霊の働きはみことばを通して語られます。そのために粘り強く学び続けなければなりません。最後のお祈り、これは何のために聖書の研究をしているのか、わたしたちに再確認をさせています。自らの正しさのために聖書を読んでいないでしょうか?みことばから神さまの声を聴くことを忘れていないでしょうか?祈りは、わたしたちの心を神さまに近づけます。神さまは光を求めているわたしたちをみことばを通して導かれるのです。