第12課 地球最後の諸事件 6月22日
暗唱聖句:真理を買え、これを売ってはならない、知恵と教訓と悟りをも買え。 箴言 23:23
今週の聖句:ヨハネ 8:32、エゼキエル 20:12、20、黙示録 7:1、2、黙示録 14:1、 ヨエル 2:21~24、ホセア 6:3、ヤコブ 5:7、8、黙示録 18:1~4
今週の研究:イエスは何よりも、私たちが人生の嵐を乗り越え、家に帰れるようにしてあげたいと願っておられます。エレン・ホワイトは、「嵐が容赦なく猛烈な勢いでやって来る。私たちはそれに遭遇する準備ができているだろうか」(『教会への証』第8巻315ページ、英文)と書いています。キリストの生涯、死、復活、天の聖所での奉仕の目的は、確実に私たちが家に帰れるようにすることです。ダニエル書と黙示録の預言のメッセージは、特に終末時代の人々に対する神の指示であり、私たちが人生の嵐を乗り越え、いつの日か、愛情深い救い主の温かい抱擁を感じられるようにするのを助けるためのものです。
今週の研究の目的は、終末の諸事件について預言の御言葉が何と言っているかを明らかにし、地球最後の闘いを乗り越えて、私たちを帰還させようとするキリストの力を新たに発見することです。
日曜日:まもなく最後の大いなる欺瞞がわれわれの前に展開されようとしている。反キリストがわれわれの目の前で驚くべき業を行うのである。偽物があまりにも本物によく似ているために、聖書による以外には両者の見分けは不可能である。……聖書の真理によって心を堅固にした人たち以外には、だれも最後の大争闘に耐え抜くことはできない。わたしは人に従うより神に従うべきかという鋭い質問が、1人ひとりに臨むであろう。その決定の時は今目の前に迫っている。われわれの足は、変わることのない神のみ言葉という岩の上に、しっかり立っているだろうか。われわれは、神の戒めとイエスを信じる信仰をとりでとして、堅く立つ用意ができているだろうか」(『希望への光』1887、1888ページ『各時代の大争闘』第37章)
火曜日:終末時代には、礼拝をめぐって大争闘が劇的な形で展開されます。私たちは、創造主を拝むのか、それとも獣とその像を拝むのでしょうか。中立の立場はありません。黙示録14章の第一の天使は、「天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい」と人々に促しています(黙14:7)。天の訴えをさらに支持するように、第三の天使は、獣を拝むことの悲惨な結果をこう明らかにしています。「その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことにな……る」(同14:10)。対照的に、創造主を拝む者は、「神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける」と描かれています(同14:12)。天地創造が真の礼拝の基礎です(黙4:11)。神は、「イエス・キリストを通して万物を創造された」(エフェ 3:9、英訳聖書)ので、サタンは創造主を憎み、この世の権力を通して創造の記念である安息日を変えようとしました(ダニ7:25)。神の律法をめぐるやがて訪れる闘いは、権威に焦点を合わせています。もしサタンが安息日礼拝を根絶することができれば、彼は自分の権威が神の権威よりも偉大だと宣言するでしょう。これを成すために、サタンは偽りの安息日を受け入れるように全世界の人々を説得、あるいは強制しようとします。
木曜日:終末時代に、聖霊は前例のない力で注がれ、福音は地の果てまで急速に広まります。1日で数千人が改宗し、神の恵みと真理が地球全体に影響を与えるでしょう。このようにして、世界は警告され、福音と福音がもたらす希望が世界中に広まります。 「福音の大いなる働きは、その開始を示した神の力のあらわれより劣るもので終わることはない。福音の開始にあたって秋の雨(前の雨)となって成就した預言は、その終局において、春の雨(後の雨)となって再び成就するのである。……神のしもべたちは、きよい献身の喜びに顔を輝かせ、天からの使命を伝えるために、ここかしこと奔走する。全世界の幾千の声によって、警告が発せられる。奇跡が行われ、病人はいやされ、しるしと不思議が信じる者に伴う」(『希望への光』1897ページ、『各時代の大争闘』第38章)
聖書には、終わりの時が近づくと、先週も学びましたが後の雨が降って多くの人がキリストを信じるようになります。けれども最後の大きな苦しみがあることも預言されているのです。かつてわたしが大学院で学んでいた時に、「終末時代が来た時にわたしたちの教会はどうなってしまうのでしょう?」と質問したことがありました。先生はあくまで私見と断ったうえで、「正しい人がすべてアドベンチスト教会に集まって来る、これは無いだろうと考えている。おそらく最後の迫害の時には、山に逃れるようにと教えられています(マタイ24:16参照)。そうなった時には、教派や教会などは関係なく、まことの礼拝をする人が集められるのではないだろうか」と話されていました。どうなるかわかりませんが、一つの考えではあると思います。
大切なことは、先週も書きましたが、わたしたちがどちらを選ぶかなのです。悪魔は全力で人間にまちがった選択をさせようと働きかけるのです。けれども決めるのはあなたです。
最後にもう一つ、わたしは仕事柄たくさんの人の最期に立ち会いました。高齢者となって老いと戦い、多くの物を失った晩年は、決して穏やかな日向で過ごしているようなことはありません。病や痛みと戦い、衰えて行く自分との格闘をして行きます。人生の最期に時、これも最後の戦いでもあるのです。特に高齢になって教会へ来ることができない方を励ましてください。最後まで信仰にすがって生き抜くことができるように、お祈りください。世の終わりにも、人生の最期の時にも、わたしたちがすがることができるのは、世界の創造主である神さまだけなのですから。