安息日学校部

20220401安河内アキラ解説

2022年第3期「試練を共にされるキリスト」

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第1   完全な宇宙における反逆   10月1日

 

 

暗唱聖句  「ああ、お前は天から落ちた/明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた/もろもろの国を倒した者よ。 イザヤ 14:12

                                                                 

今週の聖句  1 ヨハネ 4:8、16、1 ヨハネ 4:7~16、エゼキエル 28:12~19、 イザヤ 14:12~15、黙示録 12 章

                                                                 

今週の研究 彼らの「堕落」より以前に、 悪はすでに存在しており、エバを欺いた「蛇」(創3:1~5)によって悪が現れたことです。ですから、私たちの現在の存在を支配し、時に、ひどくみじめなものにしている悪の起源を見つけるために、私たちは「堕落」以前にさかのぼる必要があるのです。

                                                                 

はじめに:今期の聖書研究ガイドは、善と悪の間の大争闘という大きな視点に立って、二つの主要なテーマを学びます。一つは、罪と死の起源と現在における状態です。 もう一つは、これらの問題を解決し、世界を当初の完全な状態に戻すための神の忍耐強いお働きです。特に、人類の死すべき性質と復活がどのように不死へと導かれるかということに焦点を当てて学びます。現実に、キリストが私たちのために死なれ、死の力に勝利されたのですから、私たちは、死を恐れるべきではありません。事実、私たちには、キリストが「死と陰府の鍵を持っている」(黙1: 18)ことが保証されているのです。

今期、私たちは死という少なからず痛みを伴うテーマを学びます。しかし私たちは、イエスを通して私たちに提供されている希望というレンズを通してそれを学びます。

                                                                 

日曜日:神は、なぜ宇宙を創造する必要があったのでしょうか。神の主権という観点から見れば、神の自由意志により「いいえ」と言われることもできました。しかし、神の愛のご性質から見れば、神は愛を表現する手段として宇宙を必要とされたのです。神の愛に応え、神だけでなく他者とも愛を分かち合うことができる人間を創造されたとは、なんとすばらしいことでしょうか。

                                                                 

火曜日:ルシファーは、もはや神の被造物としての栄誉に満足せず、神への感謝を失い、自分の身の丈以上の評価を受けることを望むようになりました。完全な宇宙で、完全な天使という存在であるにもかかわらず、どうしてこのようなことが起きたのかは、やはり神秘です。

「罪は神秘的で説明できないものです。その存在に理由はないのであり、それを説明しようとすることは、罪に理由を与えようとすることであり、罪を正当化することになるのです。罪は完全な宇宙に出現した弁解できないものなのです」(エレン・G・ホワイト『天使についての真実』30ページ、英文)

                                                                 

木曜日:黙示録12章は、この今なお続く争闘の全体像を示しています。(1)それは天でのルシファーと天の御使いの3分の1の反逆に始まり、(2)十字架におけるキリストの決定的な勝利で頂点に達し、(3)なおも、神の終わりの時の残りの民に対して続けられているのです。

エレン・G・ホワイトは、この争闘の始まりを回想して次のように述べています。「神は、大いなる憐れみをもって、長い間ルシファーに対して忍耐された。 彼は、最初不満の念にかられた時も、あるいは忠誠な天使たちの前で虚偽の主張をしはじめた時でさえ、その高い地位からすぐに追い出されるようなことはなかった。彼は長い間天にとどまっていた。何度も何度も彼には、悔い改めと服従の条件のもとに赦しが提供された」(『希望への光』1837ページ、『各時代の大争闘』下巻232ページ)。

私たちは、その戦いが天でどれほど長く続いたのかを知りません。この争闘全体で最も重要なことは、戦いの大きさや長さではなく、サタンと彼の天使たちは、「勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった」(黙 12:8、ルカ10:18参照)という視点です。今問題なのは、もちろん、彼らがここ、地上に来たということです。

                                                                 

今期は、永遠のいのちについて学びます。はじめにに書かれていますが「死という少なからず痛みを伴うテーマを学びます。」と書かれています。残念ながらわたしたちは、必ずいつか死にます。以前も書きましたが、わたしの父が息を引き取る前夜に、全世界の方々にお祈りをお願いしました。するとアメリカにいる先輩から「この神は世々限りなくわたしたちの神/死を越えて、わたしたちを導いて行かれる」(詩編48:15)というみことばが送られてきました。父の死を前にしたわたしに、これほどの励まされたみことばの約束はありませんでした。死の向こうに希望のメッセージがあります。神さまは、そこで必ず導いて永遠の希望を示してくださいます。

今週の学びは、堕落以前の罪の始まりについて学びます。ここで二つのなぜ?が今週の学びには書かれています。ひとつめは、なぜルシファーは天の調和を乱してしまったか。そしてなぜ神さまは天地を創造されたかです。最初のなぞについて、わたしたちは残念ながらまったくわかりません。けれども木曜日の引用文で、神さまは彼らを愛されて長い期間を待たれて赦しを提供されようとしたと書かれています。これは今日のわたしたちに対する神さまの愛とまったくかわりませんね。そして月曜日の学びにありますが、神さまはわたしたちと愛し合うために天地を創造されたのです。その神さまは、永遠への道を約束されています。

最後に先期の学びでくりかえして書かれていましたが、どんなに苦しいことがあっても最後には神さまが勝利されます。永遠のいのち、それは神さまが勝利されるからこそ与えられるものです。