安息日学校部

202102012安河内アキラ解説

2021年第2期「約束―神の永遠の契約」

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第12  契約の信仰 6月19日

 

暗唱聖句
律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。
なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。ガラテヤ3:11

                                           

今週の聖句
ガラテヤ6:14、ローマ6:23、1 ヨハネ5:11、13、ローマ4:1~7、
レビ記7:18、レビ記17:1~4、ローマ5:1

                                           

今週の研究   救いはなぜ賜物なのでしょうか。なぜ神と等しい方しか、私たちを贖えないのでしょうか。何がアブラハムを信仰の偉人にしているのでしょうか。私たちにとって義と「認められる」「見なされる」とはどういう意味でしょうか。私たちは十字架の約束と希望をどうすれば自分のものとできるのでしょうか。

                                           

日曜日:神が古い契約のもとで人々を救われたのと、新しい契約のもとで救われるのは同じ、信仰のみによります。もし救いが、行いのような他のものによるのであれば、救いは私たちによるものとなり、創造主は私たちに救いを与える義務があることになります。罪の深刻さを理解しない者だけが、神が私たちを救う義務があるということを信じるのです。逆に、そこに責任があったとすれば、それは私たちが律法に違反したことによる責任です。もちろん、私たちはその責任を負うことはできませんでしたが、イエスが私たちのためにそれを負ってくださったのです。

                                           

火曜日:「彼は【主】を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(創15:6、新改訳)。

この聖句は今も聖書の中で最も深い意味を持つ記述の一つです。それは信仰による義という聖書の宗教の重大な真理を確立するのです。しかもそれは、パウロがローマの信徒への手紙にこの真理を記す幾世紀も前のことなのでした。
その事実のすべては、エデン以来、救いは常に同じようにもたらされたことをも立証しているといえるでしょう。
この聖句の前後の文脈は、アブラムの信仰がどれほど大きなものであったかを理解する助けとなるでしょう。彼は物理的には不可能と思えるあらゆる証拠があるにもかかわらず、子孫を与えるとの神の約束を信じたのです。それは、自分はまったく無力であることを認める信仰であり、完全な自己の屈服を要求する信仰です。そしてそれは、主への全的服従を要求する信仰であり、服従によってもたらされる信仰です。これがアブラムの信仰であり、それが「彼の義と認められた」のです。

                                           

火曜日:「彼は【主】を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(創15:6、新改訳)。

この聖句は今も聖書の中で最も深い意味を持つ記述の一つです。それは信仰による義という聖書の宗教の重大な真理を確立するのです。しかもそれは、パウロがローマの信徒への手紙にこの真理を記す幾世紀も前のことなのでした。
その事実のすべては、エデン以来、救いは常に同じようにもたらされたことをも立証しているといえるでしょう。
この聖句の前後の文脈は、アブラムの信仰がどれほど大きなものであったかを理解する助けとなるでしょう。彼は物理的には不可能と思えるあらゆる証拠があるにもかかわらず、子孫を与えるとの神の約束を信じたのです。それは、自分はまったく無力であることを認める信仰であり、完全な自己の屈服を要求する信仰です。そしてそれは、主への全的服従を要求する信仰であり、服従によってもたらされる信仰です。これがアブラムの信仰であり、それが「彼の義と認められた」のです。

                                           

木曜日:多くの人々は、彼らの人生が終わりに近くなると、人生を振り返って、聖なる神の御前に救いを得るには、彼らの行為と行いがいかに虚しく、いかに無駄で、いかに役に立たないものであったかを見るのです。そうして、彼らがいかにキリストの義を必要としているかを知るのです。
しかし今、「私たちは主にある平安を得るために死を待つ必要はない」ということは福音です。契約の全体は今、神の確かな約束、私たちのための約束、私たちの人生をもっと良いものに変えてくれる約束に基づいているからです。

                                           

まとめ:古い契約と新しい契約の両方で、イエスは律法による負債を支払ってくださいました。それによって私たちは神の目に義なるものとして立つことができるのです。

                                           

今週は、契約を履行するにあたり、わたしたちに求められていること、信仰について学びます。神さまを信仰するきっかけは、どのようなことでしょうか。天国へ入れていただきたい、より正しい生き方がしたい、人を愛するようになりたい、罪を赦していただきたい。いろいろな理由があると思います。そして中には聖書を調べて、いろいろな教会を比べて、アドベンチスト教会へ来られた方もいらっしゃるでしょう。けれども教会へ導いてくれた友人がアドベンチストだった、たまたま近くの教会がアドベンチストだったという方もいらっしゃるかもしれません。

神さま知って、そして近づけば近づくほど、自分の弱さ醜さが見えてきます。自分の力ではどうしようもできない罪を、キリストの血によって贖ってもらわなければならない、このことに気づかされて、そして神さまを信仰して行くのです。天国へ入れていただけるのは、契約の結果であり、そのためにはキリストの働きを信じる信仰が必要となります。

わたしは今、特別養護老人ホームで働いています。人生の終わりを迎えようとしている方々が、今までの人生をふりかえって、どうしようもできない心の痛みに苦しんでいる姿を見ることがあります。わたしは教会で、神さまに赦しについて多く語るようしています。この言葉を信じて、平安な想いで亡くなって行かれた方が、たくさんいらっしゃいます。今になってはどうしようもできないこと、その重荷を背負って下さるのは神さましかいらっしゃいません。これこそが福音なのではないでしょうか。