安息日学校部

202102008安河内アキラ解説

2021年第2期「約束―神の永遠の契約」

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第8  契約の律法 5月22日

 

暗唱聖句
「あなたは知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。この方は、御自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、慈しみを注がれるが、」
申命記7:9

                                           

今週の聖句
出エジプト記19:6、イザヤ56:7、へブライ2:9、申命記4:13、申命記10:13、アモス3:3、創世記18:19

                                           

今週の研究  イスラエルの選びは何を意味していましたか。彼らの選びと私たちの選びは、どのように似ていますか。律法は契約において、どれほど重要でしょうか。契約は無条件に与えられるものですか。契約関係において服従は、なぜこれほど不可欠な部分を占めるのでしょうか。

                                           

日曜日:セブンスデー・アドベンチストとして、三天使の使命の文脈において考えるなら、私たちは、主に召し出された現代のイスラエルとして唯一、贖われた者としてではなく、贖いのメッセージを世に伝えるための器として召されたのだと考えたいのです。私たちは、まだだれも言っていない使命を伝えなければならないと信じているのです。この点において、私たちも古代イスラエルと同じ立場にあるのです。イスラエルの選びの目的は、ヘブライ民族を彼らに対する救いと贖いの約束を独り占めにする、排他的な独りよがりの会員制クラブに入れるためではなかったのです。反対に、もし私たちが、キリストは全人類のために死なれたのだと信じるのなら(ヘブ2:9)、主がイスラエルに提供された贖いは、全世界にも提供されねばなりません。イスラエルは、この贖いが世に知らされるための器になるように召されたのです。そして、私たちの教会も同じ目的のために召されたのです。

                                           

月曜日:あなたが契約とは何かを考えるとき、律法は契約の一部であると考えると理解しやすくなるでしょう。契約が他者との関係であると考えれば、二者の間には規約や限界を示す一線が必要となります。結婚や友情などにおいて、暗黙の了解のみで、特に明記された一線や規約がなかったとしたら、どれほど続くでしょうか。夫は他に女性をつくり、友だちは友人の財布から勝手に使い込みます。このような行為はすべて規約違反、法律違反であり、原則を無視したものです。こんな無法状態の下で、互いの関係はどれほど続くでしょうか。ですから、〔社会には〕規約があるのです。

                                           

火曜日:契約に含まれる「律法」の働きは、契約パートナーである人間に、新しい生き方のガイドラインを提供することでした。律法は、神のみ心に対する契約の一部であり、神のご命令と〔人に〕表された神のみ心〔である律法〕に、信仰によって服従するときに、最高の意味において人は神のみ心を知るのです。生きた実体を伴う契約関係において律法が果たした役割は、イスラエルは他の諸民族の生き方に従うことはできないことを示すことでした。彼らは、自然界の法則、人間の必要、欲望、あるいは社会的、政治的、経済的ニーズのみによって生きることはできないのでした。彼らは、その生活のすべてにおいて、契約をお立てになった神の表されたみ心〔である律法〕に一片の妥協もなく従うことによってのみ、神の聖なる国民、祭司の王国、そして特別な宝であり続けることができるのでした。

                                           

木曜日:出エジプト記19:5には、はっきりと、「もしわたしの声に聞き従い/わたしの契約を守るならば」と書かれています。これが契約の条件であることは否定できません。契約は恵みによって、価なしに、賜物として彼らに与えられましたが、その約束は無条件ではありませんでした。民は賜物を拒み、恵みを否定し、約束に背くこともできました。契約は、救いと同様、自由意思を無視しません。主は、人々に神との救いの関係に入ることを強制されません。神は人間に契約を押しつけはしません。神はすべての人に無料で契約を提供されます。だれもがそれを受け入れるように招かれています。人が契約を受け入れるなら義務が伴いますが、それは契約の祝福を得るための手段ではなく、契約の祝福を受け入れたことの表明なのです。イスラエルは従うべきでしたが、それは約束を手に入れるためではなく、約束がイスラエルのうちに成就するためでした。服従は、主によって祝福されるとはどんなことなのかを表現することなのです。服従は祝福を獲得しません。祝福の約束によって、神が彼らを祝福する義務を負うのです。服従は、信仰という祝福を表明する環境をつくり出すのです。

                                           

まとめ:神の律法は、契約において、なくてはならぬ部分でした。しかし、それは真の恵みの契約でした。しかしながら、恵みは律法の必要を無効にはしません。逆に、律法は、恵みを受けた者たちの人生の中に恵みが表されるための手段なのです。

今週は、契約と律法の関係について学びます。月曜日の学びで、契約を律法の一部と考えると理解しやすいと教えていますが、とてもわかりやすい説明だと思います。契約にはお互いに果たすべき義務があります。神さまはわたしたちの罪をゆるして永遠のいのちを与えてくださいます。わたしたちは、その神さまの無償の愛を信じることで契約は成立します。この契約関係に入ることで、わたしたちは神さまの子どもとなります。その子どもが、どのように生きるかを教えているのが律法なのです。律法は義務としてではなく、わたしたちが幸せに生きる秘訣がまとめられたのです。神さまの永遠の契約はわたしたちの幸せのために与えられるものだとしたら、契約と律法が一体ということは理解できますね。そして律法を守り続けることは、契約を喜んで生きる秘訣でもあるのです。けれども律法を守ることが契約の義務と考える以上に、神さまを愛して信頼する関係に入ったら、神さまがわたしたちにお命じになったことを喜んで従って行く、この愛の関係が律法を守る動機となることが一番なのです。

最後に日曜日に教会やわたしたちの役割が書かれています。わたしたちはこの福音を信じて生きるだけでなく、それを伝えなければなりません。そのためにこの喜びを、しっかりと自分の喜びとして生きて行きましょう。