安息日学校部

20200313河内アキラ解説

2020年第3期「神のためにたくさんの友人をつくる」

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第13課  信仰による一歩  9月26日

 

暗唱聖句    「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、」  フィリピ2:5~7

                                           

今週の聖句   フィリピ2:5~11、マタイ4:18~20、使徒言行録9:3~6、10~20、ヨハネ21:15~19、Ⅰヨハネ3:16~18

                                           

今週の研究   私たちを救うためにイエスが払われた犠牲は、計り知れません。私たちが主の導きに応え、主の命令に従い、み国のために失われた人々と接触するために主と協力するとき、犠牲を求められます。この働きは、居心地の良い場所から未知の領域へ私たちを導き出します。時として、主は私たちに犠牲を払うよう命じられますが、与えられる喜びははるかに大きいものです。

                                           

日曜日:永遠の昔から神と等しくあられたイエスが、「自分を無に」なさいました。これも興味深いギリシア語の表現です。文字どおりに訳せば、「空からにした」となります。イエスは、神に等しい者としての特権や権利を自発的にご自分から空からにし、人間の姿になり、人間に仕える謙虚な僕になられました。彼は僕として、天の愛の法則を全宇宙に示し、最終的に、愛の究極の行為を十字架上でなさいました。私たちを永遠に救うために、ご自分の命をおささげになったのです。
イエスの思いの中心にあったのは、自己犠牲の愛でした。イエスに従うとは、彼が愛されたように私たちも愛し、彼が仕えられたように私たちも仕え、彼が奉仕をされたように私たちも奉仕をすることを意味します。聖霊によって、イエスに私たちの自分勝手な野心を空からにしていただくとき、犠牲が伴うでしょう。イエスはすべてを犠牲になさいました。しかし、聖書はイエスについて、「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」(フィリ2:9)と記しています。
天国は、私たちが地上で払うどんな犠牲にも値します。時には犠牲を払うこともあるでしょうが、奉仕の喜びは、この世にあってもそれを上回りますし、永遠にわたってキリストと一緒に生きる永遠の喜びは、私たちが地上で払う犠牲をささいなものに思わせるでしょう。

                                           

火曜日:イエスはしばしば、ご自分の名前をあかしさせるために、思いも寄らぬ人を選ばれます。悪霊に取りつかれた人、サマリアの女、遊女、徴税人、ガリラヤの漁師、キリスト教の猛烈な迫害者といった人たちを思い浮かべてください。これらの人たちはみな、恵みによって変えられ、キリストが彼らの人生の中でしてくださったことの物語を語るために、心に喜びを持って遣わされました。1人ひとりがその物語を飽きることなく語り続けたのです。キリストが彼らのためにしてくださったことがすばらしかったので、彼らはそれを伝えずにはいられませんでした。黙ってはいられなかったのです。

                                           

水曜日:神の愛は能動的であって、受動的ではありません。純粋な愛は、優しい気持ち以上のもの、すばらしい考え以上のものです。それには献身が伴います。愛は私たちを行動へ駆り立てます。愛は、切実な必要の中にいる神の子らの世界、失われたこの世に手を差し伸べるよう、私たちを導きます。イエスがペトロに、「わたしの小羊を飼いなさい」とおっしゃったとき、それは命令であるとともに、慰めとなる再確認でした。主は、ペトロに愛に対する応答を要求されました。
何が言いたいのでしょうか。あなたは主をひどく落胆させたかもしれません。あなたは行動によって、主を知らない、と一度ならず裏切ったかもしれません。しかしありがたいことに、恵みは今も手に入れることができますし、神はまだあなたとの関係を断ってはおられないのです。あなたが自ら望むなら、神の働きの中にあなたの活躍の場はまだあります。

                                           

金曜日:罪人の救いには、熱心で個人的な働きが必要とされる。私たちは、彼らがやって来るのを待つのではなく、命の言葉を彼らに届けるべきである。ああ、私が熱心な働きへと人々を目覚めさせる言葉を語ることができればよいのに! 今や私たちに与えられている時は少ない。私たちは永遠の世界とのまさに境界に立っている。一刻の猶予もならない。一瞬一瞬が大切であり、ただ自己奉仕にだけ用いるにはあまりにも貴重である。だれが神を熱心に尋ね求め、伝道地で忠実な働き人となるための力と恵みを神から引き出すのだろうか。

どの教会にも、適切な働きによって育成するなら、この働きにおいて大きな助けとなる才能豊かな人たちがいる。私たちの教会を築きあげるために今必要とされているのは、教会内の才能豊かな人たち―主に用いていただくために教育できる才能豊かな人たち―を見分け、育成する、賢明な働き手のすばらしい働きである」(『教会への証』第9 巻116、117 ページ、英文)。

                                           

今期は、わたしたちが「身近な人を導くために」この主題で学びました。いかがでしたでしょうか。神さまは福音をわたしたちを通して語られます。わたしたちが神さまの恵みの通路とならなければなりません。神さまはわたしたちに、神さまの愛を伝えるように召しています。そのためにわたしたちは救われました。自分が救われただけでなく、多くの人が自分を通して神さまの愛が伝わるように願っています。

今期の学びを終えるにあたり、一番大切なことはあなたがこの役割を果たす心構えがありますか?この問いかけがなされています。どんなに良い教材が用意されていても、それをあなたが使って伝道しなければ、だれかに福音が伝わらないです。日曜日の学びに「時には犠牲を払うこともあるでしょうが、奉仕の喜びは、この世にあってもそれを上回ります」とあります。わたしたちは、福音を伝えるために犠牲を求められることがあるでしょう。けれども一人の人が、福音によって変えられて行くのを見ることは、これほどダイナミックで喜ばしいことはありません。牧師の仕事をしていて、一番の喜びは、人がみことばによって変えられて行くことです。この喜びの機会を神さまはだれもが体験できるように用意されています。

そして教会に集まる方々には、いろいろな役割があります。前に立って語る人もいるでしょう。さびしい思いで一人過ごされている方に寄り添うことができる方もいるでしょう。そして講壇に立つ方のために祈り続ける方も必要です。あなたが持っているものを神さまにおささげする時に、霊の賜物として神さまは用いてくださるのです。ぜひあなたもこの働きに加わって、いっしょに喜びに出会いましょう。