安息日学校部

20200310安河内アキラ解説

2020年第3期「神のためにたくさんの友人をつくる」

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第10課    関わりを持つための刺激的な方法    9月5日

 

暗唱聖句
そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

マタイ9:37、38、新共同訳

                                           

今週の聖句
創世記1:1、2、26、出エジプト記18:21~25、Ⅰコリント12:12~25、 使徒言行録16:11~15、40、4:31、12:12

                                           

今週の研究   聖書全体を通じて、信仰を強め、み言葉の知識を増やし、あかしをする力を私たちに身につけさせる神の方法の一つとして、小グループが強調されています。父、み子、聖霊は、小グループの働きに参加なさいました。モーセは小グループの指導者でした。イエスは弟子たちという小グループを創設なさいましたし、パウロは伝道者仲間の小グループとともにローマ世界を旅行しました。

私たちは今週の研究の中で、小グループに対する聖書の根拠に焦点を合わせます。そしてあなたは、関わりを持つための刺激的な方法を見いだすでしょう。

                                           

日曜日:父、み子、聖霊は、人類をあがなうという明確な目的によって結束し、「小グループ」を作っておられます。「救済計画は、永遠の昔から無限なる神の協議の対象であった」(『キリスト教教育の基礎』186 ページ、英文)。神にとって、できるだけ多くの人を救うこと以上に大切なことはありません(Ⅰテモ2:4、Ⅱペト3:9)。
小グループには、今週の研究で学ぶさまざまな目的があるかもしれませんが、最も重要な目的は、失われた人をイエスに勝ち取ることに焦点を合わせることです。つまり、私たちは小グループで行動することによって、自分自身を助けるだけでなく、ほかの人をも助けることができます。言い換えれば、私たちの小グループの最終的な目的は、魂を勝ち取ることでなければならないのです。

                                           

月曜日:イスラエルの宿営のどの人も、10人のグループの一員になり、そのグループは、1人の信心深い隊長によって導かれました。これらの小グループは、「問題解決のための場」でしたが、それ以上のものでもあったのです。そこは、問題を未然に防ぎ、霊的な生活を深めることのできる「交わりの場」でした。また、イスラエルに対する神のご計画を分かち合うことのできる「未来を語る場」でもありました。人々はこのようなグループの中で、思いやりのある密接な関係を築き、直面する問題が何であれ、関係者全員で取り組むことができたのです。間違いなく、当時も現代と同様、人々は他人から助けを得られないことで苦しみました。小グループは、温かく思いやりのある交わり、霊的な成長、問題解決を提供するのです。
興味深いことに、小グループの専門家は、グループの交流にとって理想的な大きさは6人から12人の間であると言います。それはまさに、自分のグループを作るために、モーセもイエスも採用した大きさでした。

                                           

木曜日:小グループは、神がご自分の教会を成長させるために用いられる手段であり、人々が自分の問題を口にし、相互の心配事を話し合う「安全な避難場所」です。小グループは、思いやりのある人間関係の中で、霊的に成長する機会を提供します。クリスチャンでない多くの人は、最初から教会の伝統的な礼拝に出席するよりも、家庭における小グループの集会に参加するほうが、初めはくつろげるでしょう。
弟子たちは、福音が進展する可能性はわずかだと思っていましたが、イエスは、大きなチャンスがあるとお考えになりました。彼は弟子たちに、「収穫は多い」(マタイ9:37)という良い知らせを伝えてから、次に「働き手が少ない」(同)という問題を指摘なさいました。イエスの解決方法は、「収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(同9:38)というものでした。小グループは、キリストの祈りに対する答えであり、キリストの収穫のための働き手を飛躍的に増やします。
すべての効果的な小グループの中心は、あかしと奉仕です。小グループの活動は、その関心が外ではなく、内に向けられると、すぐに消滅してしまいます。もし小グループが自分たちのためだけのものになり、話し合いのグループにすぎなくなると、本来の目的を達成できず、重要な存在理由を失うのです。小グループは、人々をイエスに導き、イエスに対する彼らの信仰を養い、イエスをあかしするための能力を彼らに身につけさせるために存在するのです。

                                           

今週は、教会の小グループについて学びます。教会の規模が大きくなると、牧師が、すべてのみなさまのことに目を配ることが難しくなります。小さな教会では、全員に声をかけられても、大きな教会になると声をかけようと思っていた人が、気づいたらお帰りになってしまったなどということはよくありました、
小グループは、教会のみなさまの交わりを深めるためにとても有効です。特に日本のように教会の数が少なく、教会員が散らばっている場合などは、週の間に集まることは信仰を助けるためにも有効と言われてきました。けれども、日本の教会の中において、小グループが順調に育っているという話しをあまり聞いたことがありません。
木曜日の学びの中に「小グループの活動は、その関心が外ではなく、内に向けられると、すぐに消滅してしまいます。」とあります。日本の教会の小グループは、伝道のために働いているでしょうか。教会までは遠いけれど、ご近所だったら集会に参加できる場合があります。教会員の家庭を開放した集会から救われたというあかしはたくさん聞きますね。
どうすれば小グループがうまくいくのかという方法論の前に、わたしたちがほんとうに伝道をしたいのか、神さまのお働きを助けたいのかが問われています。そのために真剣に祈り求める所に、神さまは求めている人を与えてくださいます。