安息日学校部

第2課 聴覚しょうがい者用 山地 悟

2022年第3期「試練を共にされるキリスト」

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第2課   来るべき試練  山地 悟

 

1.安息日午後

化学の実験室で、さまざまな物質を高温にして反応させるための入れ物を「るつぼ」と呼びます。英語の「るつぼ」という単語は、「厳しい試練」という意味も持ちます。信仰生活において、試練は「るつぼ」のようなものです。人は困難や試練の中で、変化し、成長します。今週は、人生で起こるさまざまな困難や試練の原因について学びます。

 

2.日曜日:驚き

ペトロの手紙一4章12節を読んでください。ここで出てくる「驚きあやしむ」という言葉には、「異質な」という意味が含まれます。クリスチャン生活において、試練や苦しい経験は異質なものではありません。むしろ普通に起こるし、予期すべきことです。また、クリスチャンが経験する試練は「火のような試練」だと書かれています。信仰のために受ける苦しみは、「るつぼ」の中で熱した物質のように、クリスチャンの信仰を精錬します。私たちが苦しみにあった時に驚くのは、自分の感情に基づいて人生を単純に考えすぎるからです。良いと感じることは神様、悪いと感じることはサタンから来る、と簡単に決めることはできません。神様と共に歩む道が、困難で難しいこともあるのです。

 

3.月曜日:サタンの試練

ペトロの手紙一5章8〜11節を読んでください。獲物をねらう獅子のように残酷なサタンの働きによって、この世界にはたくさんの死や苦しみがあふれ、人々の道徳心や価値観はこわされています。クリスチャンは、そのような敵が存在することを知って、サタンの攻撃に警戒しなければなりません。しかし、イエスがサタンに勝利してくださったことも忘れてはいけません。信仰によってイエスとつながっているかぎり、私たちもサタンに負けることは決してないのです。

 

4.火曜日:罪の試練

ローマの信徒への手紙1章21〜32節を、祈りながらじっくりと読んでください。罪を犯すことは、将来の裁きだけでなく、現在にも痛みと苦しみをもたらします。神様は私たちに罰を与えようと望んでいるわけではありませんが、人を深く傷つける罪の性質を理解するように、私たちが自分の罪の結果を経験するのをお許しになることがあります。食事や運動など健康に関する法則を無視することで、体の不調という結果を刈り取るようになるのも同じことです。

 

5.水曜日:清めの試練

エレミヤ書9章6〜15節を読んでください。神様が清めを行う理由と、その方法はなんでしょうか。神様が私たちを罪から清めようとされる時に、痛みを感じる理由が三つあります。一つ目は、私たちが自分の罪に気づくためには、痛みを経験するような思い切った状況が必要だということです。二つ目は、私たちは自分の罪を自覚するとき、苦悩を覚えるということです。そして三つ目は、罪を離れて新しい生き方をしようとするとき、私たちは不満を抱き、難しさを感じるということです。

 

6.木曜日:成熟の試練

植物を切り倒すことと、せん定するために切ることは違います。せん定は植物を痛めつけているようにも見えますが、目的はその植物がもっと良く成長し、実を結ぶことです。コリントの信徒への手紙二12章7節を読んでください。「とげ」とは、パウロが抱えていた視力の問題だったという説があります。つまり彼は、自分の肉体的な弱さが、神様によって「与えられ」たものであると信じていました。その目的は、彼が「思い上がることのないように」することでした。将来罪を犯さないように、彼に一つの弱さが与えられ、その「とげ」によって彼は弱さから守られたのです。神様は、私たちがもっと良い実を結ぶことができるように、ある部分を「せん定」なさることがあります。

 

7.金曜日:さらなる研究

「人の心の中をご覧になる神は、人間が自分自身を知る以上に人間の性質を知っておられる。正しく指導すれば、神の働きを進展させる能力や感受性を持っている人々がいることを知っておられ、摂理によってこうした人を、いろいろ異なる地位や各種の境遇に導かれるのであるが、それはその人自身知らなかった自己の欠陥を発見するためである。神はこうした欠陥を改める機会を与え、神の働きに適する者となる機会を与えられる。そして、清められるためにしばしば、火のような試練が彼らを襲うことを許されるのである」(『ミニストリー・オブ・ヒーリング』新装版315ページ)。

 

<問い>上記の引用文のように、神様の「摂理」、または導きによる試練を経験したことがありますか。また、試練の時にあきらめず耐え抜くことができるよう、神様はどのような約束をしてくださっていますか(ローマ5:1〜11参照)。