セブンスデー・アドベンチスト教会

共にいます神

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共にいます神

─困難の中で─

コロナ禍で閉塞感に満ちた日々が続いています。さまざまな困難が私たちを取り巻き、心が萎えてしまいそうです。
でも、そのような中で、私たちは一つのみ言葉を聞きます。「神、われらと共にいます」(マタイによる福音書1章23節、詩編46編8、12節)。このみ言葉が語られたのは、いつも神の民にとって危機的な状況下にあるときでした。
現代の私たちも、困難を感じています。ワクチン接種の予約、肉親の病、経済的な困窮、医療崩壊、老老介護、リストラなど。至る所に不満がうずまき、心に息苦しさを覚えます。誰もが限界を感じているのではないでしょうか。本当の救いが待たれます。しかし、こんなときだからこそ、私たちは「上」からの、外側から語られる声に耳を傾けたいのです。

あなたは一人ではない
1985年8月12日、乗客乗員524人を乗せた日航機123便が群馬県多野郡上野村の山中に墜落しました。当時9歳だった健君は、大好きな高校野球の応援に行くために生まれて初めて一人で飛行機に乗り、事故に遭遇します。ご両親は、「息子が恐怖におののき苦しかったときに、そばにいてあげられなかった」という後悔にさいなまれたそうです。
そんなとき、健君の母親は偶然、健君の隣の席にいた社会人1年目の千延子さんの母親に出会います。そして数か月後、千延子さんの母親から電話があり、「千延子は子どもが大好きでした。あのとき健君の手をきっと千延子はしっかり握っていたと思いますよ」と話してくれたのです。「健君は一人ではなかった」という言葉を聞き、健君の母親の「心を縛っていた苦しみのかたまり」が少しずつ軽くなっていったといいます(2001年8月10日、朝日新聞)。
あなたが恐れを抱き、苦しく、孤独なときに、「一人ではない」というメッセージを聞くことは、なんと心強く、癒やしとなることでしょうか。私たちは人生のさまざまな場面でこのメッセージを聞きます。

「見よ、わたしはあなたと共にいる」
ヤコブが長子の特権を奪った後、親元を離れて、まさに闇の中で石を枕に寝ていたとき、神は彼を訪ねてくださいました。もし主がヤコブを訪ねてくださらなければ、彼には何の未来も期待できなかったでしょう。しかし、神は彼に約束されたのです。
「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」(創世記28章15節)。
このみ言葉に信頼したいものです。そしてヤコブは、徹底的に神を求めていきました。
「ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。……『どうか、あなたのお名前を教えてください』とヤコブが尋ねると、『どうして、わたしの名を尋ねるのか』と言って、ヤコブをその場で祝福した。……ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた」(同32章25、30、32節)
求めて、求めて、祝福を求めてヤコブは神と戦いました。そしてみごと、祝福を手に入れたのです。しかし、ヤコブの体には痛みが伴う障害が残っていました。
普通、祝福というと、痛みや悲しみとは無縁だと考えないでしょうか。祝福とは、健康で、経済的にも家族にも何も問題がないこと。私たちはそれを求めます。しかし、祝福を受けたヤコブには同時に「痛み」があったのです。
その後ヤコブは、イスラエル民族の偉大な父祖の一人として、神からの力を発揮しました。痛みを受けたにもかかわらず、です。いえ、受けたからこそ、神からの力で働くことができたと言ってもいいのかもしれません。
「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(コリントの信徒への手紙二・12章9節)。

将来と希望を与える主のご計画
私たちは人生で、激しい嵐に遭遇することもあります。しかし、全宇宙の王である神の愛が一切のものを超えて、「わたし」というただ一人の存在に注がれ続けていることに驚きを禁じ得ません。
「遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し/変わることなく慈しみを注ぐ」(エレミヤ書31章3節)
遠くから、時代を超えて、国を超えて、血筋や文化も超えて、主が「わたし」に現れてくださいました。とこしえの愛と変わらない慈しみとを注ぎ、困難や不安からの恐れを取り除くためです。愛には恐れがありません(ヨハネの手紙一・4章18節)。
「彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(イザヤ書53章5節)。
主の傷が私たちに癒やしを与えるように、神はあなたの傷をも用いられるのです。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ書29章11節)との約束に信頼できますように。神、われらと共にいます。

*聖句は©️日本聖書協会

関谷修一/せきやしゅういち

新潟県出身。首里教会、与那原教会、南部教会、名瀬集会所、八重山集会所牧師。現在は妻と二人住まい。老老介護で奮闘中。趣味はバナナ栽培と星を見上げること。

アドベンチスト・ライフ2021年6月号