セブンスデー・アドベンチスト教会

必要なことはただ一つだけである

必要なことはただ一つだけである

「なんで私ばっかり働かされているの?

家庭や職場、教会でもよく聞かれるセリフかもしれません。寮生活をしていた時、一向に部屋掃除の手伝いをせず、ベッドでゲームばかりしている友人に対し、同じような気持ちを抱いたことがあります。「私がこれだけ頑張っているのに、あの人は全然手伝ってくれない!」。そんな頑張り屋さんに聞いてもらいたい聖書のお話です。

マルタとマリアの姉妹がいました。イエスが彼らを訪ねた時、マルタは彼をもてなすために忙しく働きました。食事の準備をしたり、足を洗うための水を汲みに行ったり……。するとマルタは、何もせず、ただイエスの横に座っているマリアの姿を目撃します。「自分ばっかり働かされている!」。彼女のイライラはピークに達しました。そして、イエスのもとに行き、このように言います。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」(ルカによる福音書1040節)。

ここで、マルタは二人の人を批判しました。一人は、彼女の手伝いをしようとしないマリア。そしてもう一人は、そのことを全く気に留めないイエスでした。「あなたが何も言ってくださらないから、私ばかりが働かされているのです!」。マルタは、イエスの「ために」もてなしをしていました。誰からも強制されるのではなく、自発的に行っていたのです。しかし、気がついたら、イエスの「せいで」働かされている気持ちに変わっていきました。そんな彼女に、イエスは言います。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」(同41節)

他者との比較

マルタの心を乱していたもの。それは「働いている私」と「働いていないあの人」という他者との比較だったのかもしれません。マリアがいなければ、マルタは心を乱し、イライラすることもなかったでしょう。イエスのために一生懸命もてなし、奉仕できる喜びを感じることができたと思います。しかし、そこに「働いていないあの人」であるマリアがいることによって、彼女と自分を比較し、彼女よりも「働かされている私」が浮き上がり、心を乱してしまったのです。

「あの人は休んでいるのに、私だけが働かないといけない」「私ばかり、やることがたくさんある」。そこにあるのは、他者との比較です。「あの人と比べて私は……」という思いから、そのような差があることを気にしない神様に文句をつけたくなるのです。いつも気になるのは、「私とあの人」のことではないでしょうか。

そんなマルタに、イエスは、「マルタ、マルタ」と優しく呼びかけます。二回名前を呼ぶこと、それは相手に対する愛情表現です。マルタは、「私とあの人」のことを気にするあまり、「私とイエス」の関係を見失っていました。イエスがどれだけ自分のことを愛してくれ、この方に仕えることがどれだけ大きな喜びであるのかを忘れてしまっていたのです。そんなマルタに、イエスはこちらを見るように呼びかけたのです。

本当に気にしたいこと

「しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」(同42節)。

他の人のことが気になる私たちがいます。人と比べたり、人の評価や言葉を気にしたり、それによって心が揺れたりすることがあります。もちろん、それを一切気にしないということは、できないでしょう。

しかし、私たちが本当に気にしなければならないのは、ただ一つのことです。それは、「私とあの人」ではなく、「私とイエス」の関係です。私を愛してくれるイエスとの関係こそ、私たちが気にすべきことなのです。

イエスが私のことをどのように思っているのか、また私のために何をしてくださったのかを確認しましょう。私たちは、義務として神と人に仕えるのではありません。イエスの愛を確認できたとき、私たちはまた感謝と喜びの内に、与えられた務めに就くことができるのです。

「私とイエス」の関係を確認できたとき、「私とあの人」の関係にも変化が起こります。「もしかしたら、あの人は疲れているのかもしれない。それなら、私が代わりにしてあげよう」。比較する関係から、互いに労い合う関係へと変わっていくのです。

「それを取り上げてはならない」という言葉は、別訳では、「それが彼女から取り上げられることはありません」となっています。イエスとの関係は取り上げられることはありません。人との関係は状況や環境の変化によって変わりゆくものですが、イエスとの関係はいつまでも変わることがないのです

「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。……わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマの信徒への手紙8353839節)。

取り上げられることのない唯一のもの、それはイエスによって示された神の愛です。2000年前、イエス・キリストは人類のために、十字架にかかって死んでくださいました。その愛は、今日の私たちにも向けられていて、何によっても引き離すことができません。取り上げられることも、変わることもないイエスとの関係を大事にし、この方と隣人に仕えていきたいと思います。

人と自分を比較し、心がかき乱されることがあります。でもイエスは、そんな私たちの名前を、今日も呼んでくださっています。あなたのことを愛してくださるイエスを見つめ、これからも従ってまいりましょう。

*聖句は©️日本聖書協会

西村 翔/にしむらしょう

広島県出身。カープファン。父と母と三育に大切に育てられ、伝道者になることを志す。岡山と丸亀のたくましい皆さんに支えられながら、牧師として奮闘中。卵から育てたニジイロクワガタに、日々癒やされている。

アドベンチスト・ライフ2022年8月号