セブンスデー・アドベンチスト教会

神の愚かさ

神の愚かさ

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。 それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする』」(コリント人への手紙第一・1章18、19節、新改訳)。

岩倉具視、伊藤博文、大久保利通など明治政府の要人を含む大使節団は、明治4年から2年かけて欧米を視察して回り、その発展した社会制度、法制度、技術などを貪欲に学びました。しかし、彼らが受け入れなかったものがあります。ニューヨークの聖書会社を訪ねた時の感想が残っています。現代語に訳せば、「彼らが尊重する旧新約聖書なるもの、読んでみれば馬鹿げた話ばかりだ。天より声がして、死人が甦ったとか、頭のおかしい人のたわ言のようだ。十字架に架けられた男を、天の神の真の独り子であると、その前に涙を流し拝んでいる。理解不能だ」と散々な物言いです。
実は、彼らの中にはキリスト教に関心を持ち、そこに近代社会の発展の秘密を見いだそうとした人たちもいたそうです。彼らがモルモン教の本部を、ソルトレークまで訪ねたという話も聞きます。個々人ではさまざまな見解があったのかもしれません。しかし彼らの置かれた状況が、公式記録には前記のようなキリスト教観を書かざるを得ないものだったのかもしれません。これは、今に至る不幸な日本とイエスとのすれ違いだったのでしょうか。
今も昔も、人間の知恵では決して神を知ることができません。イエス・キリストを理解することはできないのです。しかし神は、私たちを憐れんで、聖霊によって私たちの目を開いてくださいました。「『光が、やみの中から輝き出よ』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです」(コリント人への手紙第二・4章6節、同)。
私たちも、その光に照らしていただきました。そしてキリストは、私たちの贖いとなり、救いとなり、力となり、知恵となってくださったのです。それゆえに私たちは失望しません。「それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです」(コリント人への手紙第一・1章21節後半、同)。
人間の目には愚かに見えることであっても、そこには神の、なんとかして人間を救おうとする大いなるみ心が溢れているのです。私たちはその真実を知っているからこそ、たとえ拒絶や嘲りにあっても失望しないのです。「なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」(同1章25節)。
最終的には、このパウロの思い切った表現が、すべてを表していることを私たちは知っているのです。
*聖句は©️日本聖書協会

アドベンチスト・ライフ
2021年9月号
教団総理 稲田 豊