セブンスデー・アドベンチスト教会

新たな日常に向かって

新たな日常に向かって

穏やかな日常が突然新型コロナウイルスに支配され、不安と混迷の非日常へと陥り、これから緩やかに新たな日常へと導かれようとしています。しかし、その新たな日常は過去の日常とは全く異なる日常であるとされています。個人の生活様式が変わるだけでなく、社会構造が変わり、世界秩序が変わると言われます。人類の歴史はその最終コーナーを回りつつあるのです。教会は今、その新たな日常に向かってどのように備えるのでしょうか。

終末に向かって弟子たちがいかに目を覚まし準備をするのか、キリストはすでに教えておられます。マタイによる福音書25章の「賢い乙女と愚かな乙女」のたとえは、私たちの救いだけではなく使命についても深い示唆に富んでいます。花婿を待つ10人の乙女はすべて眠っておりましたが、ランプは持っておりました。聖書の知識もキリストについての知識も持っておりました。しかし、運命を分けたのは油である聖霊を十分に持っていたかどうかでした。真夜中の叫びを聞いたとき、彼女たちが聖霊の働きに全的に心を開き、身を委ねていたか否かが明らかになったのです。私は長くこの聖霊の働きは、一人ひとりのキリストとの関係のことだと考えていました。救いは個人の選択、信仰に掛かっている、だから今この恵みの時に聖霊の導きに従い、キリストを選び続け、神との正しい関係に生きねばならないのだと、このたとえを読んでいたのです。

しかし、この非日常的な新型コロナウイルスの支配の下で、この聖霊の働きは個人の救いの問題だけではないと思い始めました。聖霊には大きく三つの働きがあります。一つは個人の救いのための働き、神との関係回復のための働きです。そして次に教会のリバイバルのための働き、教会が一つとなり共に心からの礼拝を捧げ、使命に献身するための働きです。そして三つ目が、救霊使命に教会が燃やされて邁進するための働きです。

5人の賢い乙女たちは、キリストを知りキリストを信じる信仰のゆえに神との関係を回復していただけではありません。愛の器として教会のために献身的に奉仕してもいたでしょう。そして、人々の救いのために奔走していたのではないでしょうか。あのペンテコステの聖霊の豊かな注ぎは、人々の救いのため、救霊のための油注ぎです。初代教会は決して自身の救い、祝福のために聖霊を求めて祈っていたのではないのです。むしろ、自分を忘れて人々の救いのために聖霊を求めて祈り、働いていたのです。聖霊の満たしの中でキリストとひとつとなって利己愛から利他愛のキリスト者へと変えられていたのです。

教会は、これから新たな日常に生きようとするすべての人々の救いのために、集会を持てない今の緊急事態の非日常の中で祈り考え続けます。今後どのような教会を創り、どのように救霊使命を果たすことができるのか、福音を宣教できるのか、挑戦は大きいのです。なぜなら、「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」からです(マタイによる福音書24章14節)。最後の福音宣教のために聖霊を祈り求めましょう。100日間の祈りに参加しましょう。新たな日常に備えるのは、今を生きる私たちアドベンチスト教会の責任です。

アドベンチスト・ライフ
2020年6月号
教団総理 島田真澄