教派によって教えが異なるのはどのような点ですか?

Q、キリスト教の諸教会の間で、教派によって教えが異なるのはどのような点ですか? それらの点に関するアドベンチストの立場はどのようなものですか?

A、プロテスタントの諸教会の間でも、救いにおける人間の意志・バプテスマ(洗礼)の形式、人間の死後の状態、十戒の永続性、第七日安息日遵守の必要性などは教会によって見解が異なります。 例えば、ある教会は、救いにおける人間の自由意志と責任を強調しましたが、一方、人間の救いはすべて神によって定められている(いわゆる予定説)と説いている教会もあります。アドベンチストは、人間が救いを選ぶことも、拒むこともできると理解しています。 あるプロテスタントの教会では、カトリック教会と同じく幼児にバプテスマを授けますが、アドベンチストは幼児洗礼は行いません。なぜなら、バプテスマは回心者本人の信仰をあかしする聖典であると考えるからです。またアドベンチストは、バプテスト教会と同じく、聖書の教えに従って全身を水に沈める、沈めのバプテスマを行います。 人間の死後の状態については、人間は魂と肉体を分けることのできない存在であり、肉体の活動が停止すると同時にすべての精神活動も停止し、よみがえりの時まで無意識の眠りの状態にあると聖書から理解しています(伝道の書9:5、ヨハネによる福音書5:28,29)。 十戒については、神の人間に対する意志がここに表わされており、神を愛し人を愛する人間のあり方を具体的に示しているこの十の戒めは、各時代のすべての人間が守るべき、不変の道徳律であると信じています。 十戒の第四戒は、「安息日を覚えて、これを聖とせよ。……主は安息日を祝福し聖とされた」と命じていますが、聖書が聖日として教えているのは、第7日安息日(現在の土曜日)です。アドベンチストは聖書に従って、この日を礼拝と奉仕の日として守っています。 しかし、教派によって例えそういった相違はあったとしても、キリストの十字架の犠牲を通してあらわされた神の愛による救いを宣べ伝えている限り、世界的な福音宣教を担う者同志として、互いに尊重しあうべきであると考えています。

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